映画『釣りバカ日誌』では鈴木建設の社長役、
三國連太郎氏が4月14日、亡くなった。満90歳没(享年91)。
最近じゃ観る事が無くなったけど、
結婚して子供が産まれる前は
レンタルでよく観たな~『釣りバカ日誌』。
故人を偲んでふと調べてみました。
三國連太郎
1950年に銀座を歩いていたところ松竹のプロデューサーにスカウトされ、研究生として入る。スカウト時には、「電車代と飯代を出してくれるなら」と答えたと三國本人が述懐している1951年、『善魔』でデビュー、役名の「三國連太郎」を芸名にする。翌年、東宝に移籍。しかし、1954年、映画製作を再開した日活に走り、「五社協定違反者第1号」となる。大船撮影所の門扉に「犬・猫・三國、入るべからず」との看板が取り付けられたという。
以後、『ビルマの竪琴』(1956年)、『飢餓海峡』(1965年)、『はだしのゲン』(1976年)、『ひかりごけ』(1992年)など社会派作品から、『未完の対局』(1982年)、『三たびの海峡』(1995年)、『大河の一滴』(2001年)など中国を中心にした国際合作、『犬神家の一族』(1976年)、『野性の証明』(1978年)、『マルサの女2』(1988年)などの娯楽大作まで、主演・助演を問わず幅広く出演。カリスマ的役柄で、圧倒的存在感をスクリーンに残す。1984年には紫綬褒章を受章。1986年には映画『親鸞・白い道』を製作・監督し、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。1993年には、勲四等旭日小綬章を受章した。1968年には自ら映画会社APCを設立。
いわゆる役者バカであり、老人役の役作りのため上下の歯を10本抜いたエピソードはよく知られている。特に、粗暴な人物役を抱えた時期の三國はプライベートでも役にハマりこんでしまい、他人が近づきがたい状態になっていることがたびたびであった。テレビドラマの撮影において、浮浪者の心理を探るため、荒んだ格好でカップルを脅したことがあり、交番に駆け込まれて逮捕されそうになったという。レイプシーンなどでも、リハーサルから本気で暴行することで知られ、親しい女優でさえおびえたという。
結婚を4度経験。俳優の佐藤浩市は3番目の妻との間にできた息子である。その他にも太地喜和子、石田えり、らとのロマンスが取り沙汰され、奔放な女性関係で知られた。太地と出会った時は19歳と41歳という22歳の年の差にも関わらず大恋愛に発展。
近年では『釣りバカ日誌』シリーズ(1988年 - 2009年)で活躍。スーさんの愛称で親しまれている。だが本人は釣りが嫌いだと言う。子どもの頃は全く魚が釣れず、更に餌のミミズに触るのが嫌だったからであり、劇中でも浜崎伝助(西田敏行)の様には釣れていない。また初期には作品としての『釣りバカ日誌』に対して評価は低く、インタビューなどでしばしば「昔の義理で出演している」と語っていた。最終作となった『釣りバカ日誌20ファイナル』の会見では「混迷の映画界の中で暗中模索した冒険のような作品」「スタッフの作品作りに対する情熱は日本映画史に永遠に残る」「僕にとって生涯の仕事だった」と語るなど総じて高評価であり、心情の変化が見うけられる。『釣りバカ日誌』シリーズで第33回日本アカデミー賞会長功労賞を受賞。
『人間の約束』で息子・佐藤とワンシーンのみの初共演を果たした後、『美味しんぼ』で本格的に親子の役を演じる。『笑っていいとも』に出演した際に「佐藤浩市くんの演技がよかったです」とコメントしている。
2012年9月には、同年春から首都圏近郊の療養型病院に入院していることが報じられた。一方2012年9月13日号の『週刊文春』では、老人ホームで暮らしていることが報じられた。
2013年4月14日、東京都稲城市の病院で死去。生前は浄土真宗の熱心な門徒として知られていたが、一方、「戒名はいらない。三國連太郎のままでいく」と話していたという。
90歳にもビックリしたけど、浜ちゃん(西田敏行)の奥さんと
デキてたのに超ビックリ![]()
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親子競演の『美味しんぼ』
すぐ借りて観るぞ~~~。![]()
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