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試写会「陸に上った軍艦」


陸に上がった軍艦
憲法論議の影響なのか、夏といえば定番なのか、今年は戦争にまつわる映画が多い気がする。
思えば昔の日本映画には戦争映画の名作が多かった。
僕的には、中でも「兵隊やくざ」と「独立愚連隊」が東西の横綱だ。
共通しているのは諧謔精神。
戦争で、軍隊で、いかにばかばかしいことが起こっていたか。
それが見事にエンターテインメントに昇華していた気がする。

そんなことを思っていたら、久しぶりに戦争映画で笑ってしまった。
今年95歳という新藤兼人さんの脚本・証言による、末端の弱兵目線による戦記がこの映画。
新藤さんはこう語る。

「多くの戦記物がある。だが弱兵の記録はない。なぜなら、彼らは穴を掘り、殴られ、雑役に追い回されただけだからだ。そんな惨めな戦記を誰が書くか。思い出したくないのだ、戦争そのものを」

太平洋戦争末期の1944年3月28日。当時、松竹のシナリオライターだった新藤さんに召集令状が届く。
それまでは若者だけが招集されていたが、戦況が逼迫し、30歳を過ぎた男子にも招集がかかったのだ。
同じように招集された部隊は100名。
すぐに60人は別の戦地に送られることになるが、移動中に船が撃沈され死亡。
残りの30人も、淡路島に渡る途中にやはり船が撃沈され死亡。
最終的には6人だけが生き残った。

宝塚の劇場を接収した部隊の宿舎で新藤さんが見たものは、ばかばかしいまでの軍隊の現実だった。
44年10月のレイテ沖海戦で戦艦大和以下、ほとんどの軍艦を失った日本海軍は、すでに闘うべき戦力を持たなかった。
人間魚雷「回天」で海の特攻をするか、粗末な輸送船で兵隊を運んでは、船ごと海に沈められていた。
瀬戸内海ですら制海権を失っていたのだから、何をかいわんやである。
でもって戦艦がなくなっても「海軍兵たるもの、どこにあっても艦上にいると思え」(ここにタイトルの由来がある)と、兵舎を甲板に見立てて、ぞうきん掛けと言う名のしごきが始まったりする。
もう戦闘能力がないまま、ただ集められた兵隊たちは、ムダな訓練、ムダないじめ、やみくもな暴力、ままごとのような作戦に明け暮れる。

妻に会うためにひたすら蝿を獲り、張りぼての戦車と地雷で訓練をし、挨拶をしなかったといっては立てなくなるまで殴り、バットのような棒でひたすら尻を殴られる。

ひとつひとつのエピソードが、まるでドリフのコントのようにおかしい。
不条理ばかりがまかり通る。
「だめだこりゃ!」
「聞いてないよ~」
そんな突込みを心の中で入れては、おかしければおかしいほど、もの哀しいくなる。
それはみんな、実際に弱兵の命を懸けて起こったことだからだ。

戦争が終わったその日、それまで部下をいじめていた上官や先輩の兵は、あっという間に姿を消し、弱兵たちは仕返しなど思いもいたらず、ただ戦争が終わったことだけを喜ぶ。
生き残ったことを喜ぶ。

「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないでは、何の風情もありません」
こう書いた妻からの葉書を胸に、前線に赴いて戦死した兵がいたそうだ。
新藤さんは言う。
「残った妻の人生も破壊されるし、もう何もかも破壊されるような大きなことが、その個人には起きているんだけれども、大局から見れば何か戦略的に一人の兵が死んだということなんですね。戦争とは、要するにそういうものなんだ」

「しょうがねえな~」ではすまない現実があって、また夏がきます。
戦争がどうとか、軍備がどうとか、考えれば考えるほど、何か分からなくなって「その前提が間違えてます」なんて、最近売れている本のタイトルをつぶやいたりします。
でも、ひとつ確かなことは「戦争の時代に生まれてなくてよかった~」っていうこと。
僕のような弱い庶民は、ゴキブリのように逃げるしかないのだ。
★★★☆☆

試写会「アヒルと鴨のコインロッカー」


アヒルと鴨のコインロッカー

僕は大学時代の4年を仙台で過ごした。
学校に行ってもほとんど授業に出ず、草野球と草プロレスと友人の下宿での麻雀と酒を飲むことでほとんどの時間を潰していた。
その頃、毎晩のように通っていた「白頭山」という焼き肉屋がある。
そこで頼むのはお皿に山盛り400円の“鳥焼き”(焼き鳥ではない)と“梅割り焼酎”というお酒。
ホワイトリカー(梅酒を漬ける安焼酎)に梅のエキスをちょっとたらして、コップ一杯200円だった。
おばちゃんはいちいち作ってはくれなくて、いつも一升瓶を渡されて、自分たちで作っていた。
3杯で酔っぱらい、5杯飲むと足にきた。
最後の勘定の時、「何杯飲んだの?」と聞かれると、何杯飲んでいても「3杯」と答えていた。
だから、1000円でしっかり死ぬまで飲めた。
僕の仙台の記憶は路地の奥のソープランドの脇の「白頭山」でいつも酒漬けになっている。
書いてたら、また行きたくなってきた……。

そんな仙台を舞台にした、キュンとする映画がこれだ。

「僕にとって今年一番の映画はこれに決まりました!」
知り合いのライターから聞かされて、どうしても観たくなって足を運んだ。

仙台の大学に入学するために東京から引越してきた(29年前の僕だ!)椎名は、荷物の片づけ中にディランの『風に吹かれて』を口ずさんでいると、隣人の河崎に声をかけられる。
「ディラン?」

部屋に招かれた椎名は奇妙な計画を持ちかけられる。
「一緒に本屋を襲わないか?」
理由は隣の隣のブータン人が日本語を勉強できるように「広辞苑」をプレゼントしたいから。
しかも、買ったのではダメで、盗まなくてはいけない。
ブータン人が調べたいことは「アヒル」と「鴨」。

なんで鴨なのか? アヒルなのか? そもそもブータン人って? 本屋襲撃ってやばくない?
訳もわからず協力することになった椎名の役目は、本屋の裏口でモデルガンを持って見張りながら『風に吹かれて』を10回歌うこと。
本屋襲撃は成功した。
しかし、河崎が持ってきたのは『広辞苑』ではなくて『広辞林』だった。

この何の脈絡もないような行動に、関わる人間の人生を変えてしまうような切ない物語が織り込まれていた……。

多くの映画は、そこにいてはいけない人間の物語だ。
当然のようにそこにいる人がいて、いてはいけない人がいて、話が始まる。

そこに軋轢や戦いが起き、迫害されたり乗り越えたり、ひどい時には無視されて、その落差から起こる風が物語となる。
この映画全体を支配する神の声として、ボブ・ディランの『風に吹かれて』が流れるが、その“風”はまさに“物語”なのだろう。

見終わってびっくりして感心したのは、
「瑛太って、いい役者だな」ということ。
そこにいるだけで、底が抜けるような孤独を一瞬にして表現してしまう。
かすかな笑みひとつで、淋しさと愛しさを醸し出す。
そこにいてはいけない人間の切なさがにじみ出てくる。
それがこの映画の最も“キモ”の部分で、その心の真空からすべての物語が流れ出すのだ。

『風に吹かれて』を歌えるようになったら、もう一度映画館に観に行きたい。
(↓歌詞はこちらです。)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sakai-tt/jiyuutyou/blowin'%20in%20the%20wind.htm
★★★★★

試写会「消えた天使」


消えた天使
アンドリュー・ラウ監督のハリウッド進出第1弾です。
あの『インファナル・アフェア』3部作の監督です。

いやー、『インファナル・アフェア』は面白かった!
特に第1作は最高でした!
リメイクの『デパーテッド』もアカデミー賞に輝いたけど、両方観た人の多くは元の方が良かったと言ってたね。

今回はアンドリュー・ラウ監督初のサイコサスペンス。
公共安全局のエロル(リチャード・ギア)は18年も性犯罪登録者の観察を続けてきた。
精神的に追いつめられていたエロルは、上司に退職を言い渡されていて、最後の仕事として後任のアリスンの指導を任された。
退任まで18日に迫っていた。

二人で担当している登録者の元を訪れる。
女を殴って強姦するのが好きな男。
3件のバラバラ殺人で夫が死刑になり、本人も何度も夫にクビを絞められたという美容師。
ショッピングセンターでモデルを探す児童ポルノのカメラマン。
ろくでもないやつらばかりだが、彼らをいきなり犯人のように扱うエロルに、アリソンは戸惑い、反発する。

そんな中、誘拐事件が起きる。
被害者は女子大生のハリエット。
家出の可能性も検討される中、エロルはある確信を持っていた……。

とにかくうんざりするほどの変態が出てきます。
でもって、彼らは単純にそういう趣味だということにも、今という時代に対してちょっとげんなりします。
つまり、自分たちの好きなものが、たまたま社会のルールに合っていない人たちなのです。

かつて幻冬舎の見城徹さんは「投稿生活」(マガジンハウス刊)という雑誌のインタビューでこう語りました。

「犯罪と表現というのは紙一重なんですよ。(中略)
政治とか経済とか倫理とか道徳とか法律とかは、共同体を上手く維持していくために必要な取り決めです。
しかし共同体を作っている一人ひとりは、人を殺したい衝動を持った人もいれば、犬を犯したい衝動を持った人もいる。
それを僕らは表現で見たいわけです」

人間の多様な欲望のために文学や芸術があるわけで、その中でならレクター博士に人を食べさせてもいいわけです。
でも、不幸にもそれを現実に実行してしまう人たちがいるというお話。

リチャード・ギアの追いつめられた演技や、スローモーションを効果的に使った映像は印象的です。

「あたしはクズなんだよー!」

そう叫ばなければならない犯人の目は、エロルに、観る者に「あんたは違うのかい?」と投げ掛けていた気がしました。

ちなみにこの日本題はどうなんでしょう?
原題は「THE FLOCK」で「群れ」と言った意味なんですよね。
多分、犯罪登録者を「動物の群れ」に例えたタイトルだと思います。
主役はあくまで犯罪者と犯罪者を取り締まる人間。
でも、この題だと誘拐された女の子が主役のように思いません?
内容に対してもきれい過ぎる気が?

★★☆☆☆

試写会「TOKKO」


TOKKO

特攻といえば、戦闘機による神風特攻隊が有名だが、実はほかにも特攻はあったらしい。
先日すごい話を友人のカメラマンから聞いた。

彼の父親は中国に出征していた。
その父親の部隊が、特攻攻撃をしていた。
その方法は、背中に地雷を背負って、匍匐前進で敵の戦車に近づき、キャタピラの下に身を投じて自爆するというもの。

「そうするとね、ポンッと戦車が少しはねるんだって。それで終り。
オヤジは戦友の肉片を何度も回収したんだって」

酔うたびに父親は息子に、何度も何度も戦争の話をしたそうだ。
その父親が亡くなった時、彼は遺骨を一片、そっと口に含んで食べたそうだ。

前置きが長くなりました。
この映画は日系アメリカ人の女性監督によるドキュメンタリー。
森本リサさんは、自分の伯父に当たる人物が、特攻隊の生き残りであったことを知る。
9.11のテロが“カミカゼ”に例えられたように、アメリカ人として悪魔のように教えられてきた「神風特攻隊」と、優しかった伯父の姿に違和感を持ち、特攻隊の生存者たちとその周辺に取材を重ねた。

そこで出てきたのは、今まで語られなかった生の言葉。
もしかして、みんなが知った気になっている“特攻”については、今まで驚くほど語られてこなかったのではないだろうか?
取材される4人は口をそろえたようにこう言うのだ。
「いままで特攻隊のことはほとんど話してこなかった。家族にもね」

戦争のことを話す年配者は多い。でも、特攻は話せない。
「戦争」と「特攻」はまったく別のものだからではないだろうか?
「戦争」は死ぬかもしれない戦地に行くことだが、「特攻」は死にに行くことだからだ。
「死ぬかもしれない」と「死ぬ」の間は限りなく大きい。
特攻隊とは死ぬことを他人に決められてしまった兵士なのだ。

「死相が出てるでしょう」
一人は出撃前に撮ったポートレートを見せながら言う。確かに死に取り憑かれたような影が染みついている。
「遺影だからね」

「祝福されながら死にに行く兵士は、どういう気持ちなのだろう?」
監督はモノローグで問い掛ける。
「あじゃぱー、と思ったね」
泣き笑いのような顔で当時の気持ちを話す証言者に、試写室に微妙な笑いが起こる。
「死にたくはなかったよね。でも、しょうがないのかなと」

彼は射撃手としてパイロットと出撃。
敵艦に出会う前に敵機と空中戦になり、重傷を負うが、なぜか敵機はとどめを刺さずに消えた。
すっかり特攻する気持ちをなくした2人は「もう帰ろう」と、命からがら鹿児島の林に不時着した。

死ぬことを望まれた人たちが背負った傷の大きさは、誰にも分かるまい。
「ただ、君のためにこそ死にに行く」でカットされた、最初の神風特攻隊・関大尉のセリフも紹介される。

「オレは体当たりしなくても、やらせてくれれば敵艦に500キロ爆弾を命中させて生還できる。そんな優秀なパイロットを死なせる日本はもうダメだ」
写真も紹介されますが、実にカッコいい男です。まさにサムライです。
↓こちらを参照してください。
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/saisho_no_tokko/seki/sekitaii.html#

「あじゃぱー」のおじさんはこう言います。
「昭和天皇に対しては、複雑な感情はあるね。せめてあと半年早く“やめる”って言ってくれたらね」
一説によると、特攻攻撃の考案者・大西中将は、自爆攻撃までやったら、天皇陛下が“そこまでしなくてもいい。もう戦争をやめよう”と言い出すことを期待していた、という説もあります。
ところがその後、“特攻”は日本の戦時の最後のシンボルになっていくのです。

若者を殺す国に未来があるとは思えません。
日本が戦争で何を失ったのか?
深く考えるのが空恐ろしくなるテーマです。

★★★★☆

試写会「シュレック3」


シュレック3
最初に『シュレック』を観た時はけっこう衝撃でした。
だって、泥水で歯磨きしちゃうし、ものすごく息は臭そうだし、肌の色は黄緑だし。
でもって、おとぎ話の登場人物がバシバシに現代人のキャラでパロディーになってるわ、超美人と怪物がちゃんと恋愛するわ。
普通のアニメだと思って観に行ったら、やったらアナーキーで、ラストなんかドラゴンが上へ下への大スペクタクルで、「面白いじゃん!」と感動したものです。

今回はそのパート3。
試写会は英語の字幕版でした。フィオナ姫が藤原紀香ではなくキャメロン・ディアスの方です。
キャメロンといえば、ソフトバンクのCMのギャラって3億6000万円だったとか。
収録時間6時間だったそうだから、時給6000万円!
それだけもらえたら、地球上のすべての人間に優しくなれそうです。

しみったれた話は止めましょう。

観始めて、『シュレック』に対していつも思っていた、あることに気が付きました。

「絶対、日本語吹き替え版の方が面白い」

そうなんです、シュレックの声はやっぱり浜ちゃんの関西弁がいいんです。
言い方は乱暴でそっけない時もある中に、実は何とも言えない温かみや優しさがこもる、浜ちゃんの明るい声がいいんです。
フィオナ姫は「私、妊娠したのー!」って紀香が叫んでほしいし、ドンキーは山寺浩一で、長靴をはいた猫は竹中直人じゃないと、物語にのめりこめんとです!

などと思いつつ、物語は進みます。
本日は珍しく同伴者付きで来てみましたが、なぜか隣で熟睡しています。
後で聞いてみたら、つまらなかったわけではなく、徹夜で眠かったそうです。
お昼にすし屋のランチで冷酒を飲ませたのが効いたようです。合掌。

今回はスペクタクルで楽しませるというよりは、渋い小ネタの応酬が見モノです。
嘘をつくと鼻が伸びてしまうので、言うことが回りくどくなるピノキオ。
ドンキーとドラゴンとの愛の結晶の子供が飛び回っていたり、クッキーマン(僕の一番好きなキャラです!)の生い立ちが明らかになったり。
悪役たちが「オレたちだって夢がある!」と述懐したり。
シンデレラや白雪姫がやけに強いのも痛快です。

そんな、しみじみと語られる感じで物語は大団円に向かいます。
今回はドラゴンが飛び回るような大立ち回りはないです。
で、見どころはシュレック・ジュニアなんですが、けっこう早くに出てきちゃうんですよね。あれはどうなんやろ?
物語の構成上、最後まで隠してた方がいいんじゃないかなー?
うーん。
ちなみに同伴者は途中から寝てて気付かず、最後にジュニアを見て感動してました。
それもまた幸せかも。

★★☆☆☆(日本語吹き替えなら多分3つ)