日常と非日常
私たちが生きているのは『日常』
例外なくみんなが『日常』を生きている
音楽、絵、デザイン、アート
感情とか
誰かの想いとか
成り立つ理論、意味あいとか
他にももっと色々あるだろうけど、
言葉に出来るものと
言葉に出来ないもので
成り立つ『表現』とか『創造』
それらが芸術として存在している
んだと思う
わたしは、いつも良くはない頭で
たくさんの事を考えて
今あるものを『言語化』しようと
試みるくせがあるみたいで🤔
色んなクリエイターさんを見ていたら
軸とかこだわり
というものが見えてきて、
結局、それは表現者ならみんな
持っているものだという事が
最近の気づきなんですが
じゃあ、
私のクリエイターとしての
軸はどこにあるのか?
って考えてみたんだけど、
『日常』を表現する人がいて、
『非日常』を表現する人もいて、
同じものを描き続けるとか
同じツールで描き続けるとか
そこで縛ることでこだわりにしてる人も
いると思うけど、
私は、一応デジタルツールを軸に
制作はしているけど
描き方にもツールにも
実はこだわりはなく、、
むしろ、作る事も仕事も
『+α』していく事で生まれるものを
純粋に楽しんでるから
本当の意味で私の軸が
どこにあるのかっていうと、
『どこから得たものを、
どう感じて描いているのか?』
という事なんだうなぁと。
ここで話が振り出しに戻って、
『日常』がキーワードになる。
もっと言うなら
『細やかな私自身の日常(経験)』
というフィルターを通す事が
必ずやっている事。
言葉になる想いと
言葉にならない想いを
両方カタチにすること
これが確固たる軸がだなと、、
誰かの『似顔絵』を描くこと
誰かの『想い』を描くこと、文字にすること
誰かと『何か』を創り出すこと
縁の下のチカラ持ち
という言葉がふさわしいし、
だから、
『心』を描く時に、
カタチがなくなった表現になるのもわかるし、
だから、
あるものを描く時には、
『カタチ』は崩しすぎずに表現するのも分かる
難しいこと言ってるように聞こえちゃうけど
『表現』には
『日常』をカタチにするものと
『非日常』をカタチにするものがあって
その共通事項は
紛れもなく『心』で繋がってるし
紛れもなくどっちも『日常』から
生まれてはくるけど、
私は前者の人だって言う方に気付きました
そういうことが言いたかっただけ(笑)
言葉もっとまとめられたら良いのに(笑)
ブログは難しい。
打った文字が、スクロールしないと
見えないから長くなっちゃうんよね💦
パソコンみたいに打った文字が
一気に見えたら長文にはならないと
想うけど🤔
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