少し時間が経ってしまいましたが
日曜日、先日blogでお話したコンサートへ行って参りました。
演奏前の沈黙から指揮者 西本さんの意気込みがピリピリと伝わってくる緊迫感。
「イゾルデの愛の死」中盤~終盤には私の目から大粒の涙がポロポロ( ; .̫ ; )
世の中に普遍的に存在する立場の違う者同士の愛が音楽と共にフラストレーションが浮き彫りになる。
嘆き叫ぶような演奏が自然と涙に変わりました。
2曲目のサン サーンスの『死の舞踏』は
何度聴いても面白い曲
演奏前にソリストの中島麻さんが、自身のヴァイオリン2つを使い、1つは協和音、もう1つは不協和音に調弦したもので曲のおどろおどろしい様を説明して下さいました。
3曲目 同じくサン サーンスの『サムソンとデリラ』より「バッカナール」
ここで選曲した全曲に込めた思いをマエストロがお話くださいました。
英雄となったサムソンも、ハニートラップに罹り捕らえられてしまう。
怖いですね〜
「バッカナール」は酒の神ですね。
サムソンを捕らえたペリシテ人達が喜びの宴で大騒ぎしている様子を演奏したのだとか。
軽快な明るい曲でした。
さて、私の涙も乾いてきたところで休憩をはさみ後半の演奏会へ。
待望のチャイコフスキー 交響曲第6番『悲愴』
この曲の初演から9日後 チャイコフスキーは急遽してしまう。
それが今回の私のheartと重なって、感極まってしまいました。
実はこの4日前から急激に父がやせ細り、それまでおぼつかない足取りながらにも歩いたり座ったりしていた父が、立ち上がることもままならなくなり、それでも必死で歩いてみるも転んで起き上がれなくなってしまうを繰り返すようになっていました。
次の日にはお腹を壊し、いよいよ翌朝救急車🚑
極度の脱水症をおこして入院となりました。
一旦 母を家に置いたまま、病院へ駆けつけ父に話しかけたら「お婆さんは?」と。
私が「お家で1人で待ってるよ」(実際は駆けつけた姪と一緒に居ました)と言うと、意識朦朧の中「可哀想に…」と呟きました。
いつもはお互い口喧嘩のような笑ってしまうやり取りをする両親を見て仲が悪いんだと思っていましたが本当は愛情表現が下手なだけだったんだ、母がひとりぼっちにならない為に具合が悪くても文句も言わずに私たちの要求に応え、一生懸命生きていたのだとわかったすぐ後のコンサートでした。
ほんの数ヶ月、いえ、数週間前まで足腰は弱っているものの笑ったり叱られたり、私たちに「いつもありがとうね」「頑張るぞ!」などの会話や動作をしていた父が…
西本さんの作品に対する世界情勢を重ねた熱い想いと、チャイコフスキーの苦しみと父が重なり合い、私の涙腺は崩壊。
父に対し、もっとこうしてあげれば良かった ああすれば良かったと一心不乱に懺悔する始末。
私にとってこの『悲愴』はレクイエムとなる、素晴らしい演奏でした。
(まだ死んでませんけど)💦
いやもう、この哀しみはどこへ持って行こうかと溢れる涙をどうにも出来なかった次の瞬間、
チャイコフスキーが『悲愴』を作曲した同時期に作曲したという『くるみ割り人形』から「花のワルツ」をマエストロがアンコールで用意してくれていました。
私にとっても想い入れのある「花のワルツ」
重く行き場のない心から解放させてくれました。
本当に今回のコンサートは行って良かった‼️
素晴らしかった。
心から感動しました。
(残念なのは、最後のフライングが…)
皆さんも凄い演奏だったと感じたみたいです。
スタンディングオベーション、ブラボー
暫く鳴り止まない拍手👏✨️✨👏
今回は本当にずっと拍手を贈り続けたいくらいでした。
ありがとう…