私はべつにファンでもなんでもないけど。
でも、言うことが穏やかながらもはっきりと言える、あの感じはわりと好きで。
嫌いか好きかと問われたら、まあ、好きな方に入る、EXITの兼近。
ああなるには、元の性格ももちろんだけど、いろんな経験や体験や思考があって。
それが、「今の」人気のある兼近が出来上がる経緯なわけで。
それは、必要な体験だったのではないかと思う。
悪い事をしたのかもしれないし、していないかもしれない。それは本人の意識の問題だとも思う。
人の価値観の違いかもしれない。
10年も前にあったことを、今さら掘り下げられても。しかも、20歳そこそこの頃の若気の至りというのだってあるわけで。
人は、いいことも悪いことも、絶対にしてきているわけで。
悪いことしかしていない人はいないし、いいことしかしていない人もいないはず。
いいことをしていると思っていても、誰かからは良くないことだってあるので。
私、占い師をやろうと考えた時、レイコが「本名でやればいいのに」と言いました。
でも、私は本名を出すのはとてもこわかったんです。
それはやっぱり、犯罪はしていなくても、冗談にも美しい人生を生きてきたと言えるわけではないので。
私の名前を見て、「は?あんな奴が人の幸せを祈るの?」と、思われることだって、絶対にあると思うと、私は実名で占い師をする勇気はありませんでした。
そんな、清廉潔白な人生は歩めてないです。
きっと、どこかで恨まれたりしていることも、絶対にあると思うんです。
でも、それが、今の「私」を作っていることも確かなんです。
反省も含め、体験が「私」を作り、人の為になにかをできないかと思う人生を、今、歩んでいるわけです。
そういう意味でも、過去があっても、芸能の世界に身を置くというのは、そうとうな覚悟のいることで。
特に芸人の人って、本当に大変な仕事だと思うし、コメンテーターまでやっている兼近なんていうのは、時に上からだと思われてしまうことだってあるだろうし。
でも、コメンテーターができるのは、広い視野があって、体験もあるからこそ、説得力もあると思うので。
机上の論理では、人の心には響かないと思うんですよね。
少し危ない世界にいたらしい兼近に対して、今の兼近を見ると、それは、彼にとって必要な体験であり、人生の肥やしに絶対になっていると、私は思ったので、なんとなく書いてみたくなりました。
逆に応援したくなったよ。
※写真お借りしました。