喪った感覚はあるのに
それがどのくらいの大きさなのかわからなくなる。
否、わからないでいようとする。
目の前のことだけしか見たくなくて
感じることを封印した。
寒いも冷たいもさみしいも。
なのに、涙だけはひとりでに滑り落ちる。
仕事の間は持ちこたえるのにバスに乗ると始まる。
とりわけ車に乗るとひどかった。
病院通いした日々がよみがえって
視界がなんども曇った。
10月23日、稼頭央が亡くなった。
6月に体調を崩して治療が始まり
なんどかは持ち直したが
わずかにいい日があってもすぐにダメになる。
気休めだといわれても
逝ってしまわれるのが怖くて医療にしがみついた。
注射してもよくならないことを本人がいちばんわかっていたというのに
嫌がる稼頭央に
飼い主の思いを背負わせた。
そんな呪縛から逃れられなかった。
呪縛はさかのぼること3年前、
マロンを譲り受けたときから始まっていた。
11歳になっていた稼頭央は環境の変化に
なかなか馴染めなかった。
家じゅうにスプレー行為をして歩き
私が慌てると尻尾をふって逃げていく。
甘えることが下手になり、
あんなに寄り添ってくれた私との距離も空いていく。
だけど、そうなんだろうか。
甘えたいのに、拒絶されるのが怖くて
背中を向け続けているのだとしたら。
それに気づかされて、
私は「命」に執着したのだった。
稼頭央が亡くなって、茫漠と日が過ぎた。
ぽっかり空いた空洞を埋めるように
マロンに気持ちを向けることもできなかった。
マロンもマロンで、そんなお役はさらさらごめんと
送り迎えは当然のこと、ごはん以外は呼んでも出てこない。
かっちゃんいたときはお兄にゃんに追い越されまいと
必死だったのに。
「そうかなー。あの子もかっちゃん亡くなって
さみしくてしかたないんやと思うよ。
猫のいる家にきてうれしかったのに
いきなり一人っ子になって
どうしていいかわからないんやと思う」
先日友人にいわれて、
ばかみたいにぼろぼろ泣いた。
勝手に落ちてしまう涙じゃなくて
身体じゅうを通過してあふれた。
わが子の心のなかはこんなにも見えないものなのかと
自分の愚かさにあきれてしまう。
稼頭央が亡くなって、もうすぐ3か月。
少しずつマロンとの関係が復活してきた。
