すっかり遠ざかっていた以前のブログを読み返した。

1年前から私はなにか変ったのか


そんなことを知りたくなった。


いいこと書いてるやん と思うときもあるけれど

これはカッコつけてるな、と赤面したくなるのもある。

立派でないのはわかってるのに

なけなしのプライドは捨ていきれない。

こういうタチの悪い自分が嫌いで目をそむけたくなる。

ブログが遠ざかるのはそのせいだ。


そんなとき石田衣良の作品を読み返したくなる。



石田衣良の「逝年」は

女性に身体を売る少年を描いた「娼年」の続編である。


「ル・クラブ・パッション」のオーナー御堂静香によって

娼夫の才能を見いだされたリョウは

女性のもつ欲望の多彩さと深さを教えられクラブのナンバーワンに成長する。


それまでセックスなど手順の決まった運動だ

女なんてつまらない、世の中なんてつまらないと退屈しきっていたリョウは


女性やセックスを退屈だと思うのをやめなさい。

人間は探しているものしか見つけない、と教えられる。



じらすのが好きなひと、だれかに見られていないと燃えないひと、

乱暴される妻を観たい夫のために性を求めるひと

自分なりの究極のエクスタシーを見つけたひとに出会うたび

リョウは女性の不思議に打たれていく。


そして、その打たれた心の向かい場所は

亡くした母への思いでもある。

年上の女性に愛おしく描く指先はどこまでも優しい。



私は性について、自分がひととどう違うのかをあまり考えたことがないけれど

感じかたは、なじみのあるものとそうでないものがあるだろうと思っている。

指の動きひとつで大きく世界とつながるようなことはなく

人差し指で感じることと中指ではちがうように

ほんの少しのちがいで観る角度が変わることは多い。


石田衣良の作品に出会ってから

性は私のなかで広がった。

恥ずかしいもの、破廉恥なものではなくて

愛おしさとぬくもりの対話でありたいと思うようになった。

烈しさではなく探求でありたいし、

問いただすものではなくて、訪ねていきたいものである。


自分の感じることと相手の感じることと

ことばにして伝え合うのは勇気がいるけれど

こんなふうにしてほしい と

そこがいい と


こんなこともしてみたい と


いいあえたら、たどたどしい交わりも

限りなく深い語らいに変わる。



それは生きかたともつながっていると思う。

知識が増えると、習得したと勘違いしてしまうけれど

古いハードディスクのままだとバージョンアップすらできない。

「自由」をどれだけ解放できるかで

豊かさも表情もちがってくる。


続編「逝年」は御堂静香が服役中のところから始まる。

一年半前、不法な手段で利益を得ていると

警察の手入れを受けたのだ。

再開を目指して準備していたリョウは新しい仲間を探して歩く。

性同一障害を持つアユムは女性の身体を持つ男性だ。


身体に心を合わせることはできない。

ひとはつねに心が先で身体はそれに合わせているにすぎない。



やがて御堂静香が釈放されて帰ってくることが決まった。

「ル・クラブ・パッション」はまた

以前のパーフェクトな状態に戻ると思っていたリョウは

ひどく衰えた彼女を見てうろたえる。

HIV感染者だった御堂静香は服役中にHIVを発症していた。

残された時間は月単位。


最期にこの愛しいひとになにをしてあげられるだろう。

母のように慕い、自分を変えてくれたひと


このひとを抱きたいとリョウは心から願う。

最後のプレゼントに。

このひとの最後の男になりたい。


リョウの唇と舌の動きは卑猥でやさしい。

疲れた肉体に生きてきた時間のまばゆさを

集めて慈しむ。


もういきたい


ダメだ


彼女の泣き声を聞いても探り続ける。

ようやく長い旅がたどりつくように奥までペニスが入ったとき


もういいよ、というリョウに

幼子のように答える御堂静香のことばがいい。


「……はい」


40代後半の女性が

こんなにも恥じらうようなことばを持ち続けている。


じぶんを好きになってくれたひとに

いつまでもきれいな自分をみてもらいたい。

そう願う日々を重ねてきた「女性」の

いちばん無垢な部分に惹かれる。


穢れないということは経験値が少ないことと同義ではないと思い知らされる。

多くを知っても、なおそっと握りしめている柔らかな部分。

それはふとした瞬間に

顔をのぞかせる。


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