茨木のり子さんの『みずうみ』という詩がある。
<だいたいお母さんてものはさ
しいん
としたとこがなくちゃいけないんだ>
名台詞を聴くものかな!
ふりかえると
お下げ髪とお河童と
二つのランドセルがゆれてゆく
落ち葉の道
お母さんだけとはかぎらない
人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖を持つべきなのだ
田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言三言で
それこそいしんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の下りてはゆけない魔の湖
教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖あたりから
発する霧だ
早くもそのことに
気づいたらしい
小さな
2人の
娘たち
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作品を書いていると、時間の切れめがなくなってしまう。
なにをしていても、そのことばかり頭のなかを去来するからで
思い立つたびメモしてみたり、
それをいそいそとパソコンに送信してみたり
時間と時間の谷間が立ちあがってくるせいかもしれない。
進み具合のいいときは、気分も充実しているけれど
詰まりだすと、ほかのことがなにも手に付かなくなる。
もともと器用なほうではないから
一つのことに集中すると、周りが全く見えなくなる。
へんなところに拘りがあって
周りと遮断して、いいたいことを胸にためているほうが
ことばは力を持つような気がしてならない。
「Doing」ではなくて「Being」そこに在るということの習慣
となにかの本で読んだ。
Doingに関しては、ほかの形で情報として受け取ればすむけれど
Beingは情報の量などでは決してなくて
「あいまいだけど確固とした」感触として残していくもの
日常のいたるところにあることばを駆使して伝えられるものとは別に、
聞きなれているはずなのに、ある瞬間、深く響いてくるもの。
Beingは、そういうものではないかと私は解釈している。
簡単に別のことばに置き換えられなくて、
無理に説明しようとすると、
たちまち輪郭がかわってしまう。
そこに「在る」もの
茨木のり子さんの詩を詠むと、
それを強く感じる。
慌ただしい年の瀬商戦のなかをかいくぐって帰ってくる。
しずかな時間の贅沢を
引きこもりのようにいま愛しんでいる。
