歳の話が苦手である。
相手が年下でも年上でもこちらから訊きだすこともないし、
明確に提示されている場合でも、それを話題にするのはちょっとはばかられる。
自分の歩いてきた道だからといわれると、それは紛れもない事実だけれど、
事実と本質はちがう。
どんな本が好きで、どんな音楽が好きか、
服や料理の話を聞かせてもらえるほうが、何倍もその人に共感できる気がする。
カメラっていうのは、うそつきだから。
だって、大人の女のなかの少女を見ようとしないんだもの。
少女はずっとそこにいるのよ。
年老いた淑女を見たら、いつもそのことを思い出してちょうだい。
その人のなかには、12歳の少女がいまでも生きているのよ。
児童文学作家E・L・カニグズバーグの著書「エリコの丘から」のなかに出てくる、このことばが印象深い。
少女や少年がいなくなってしまった心には、数字が大きくはびこりだす。
現実は厳しいし、それは避けて通れないものかもしれないけれど、
だからこそ、喪くさないように、見失わないように、と思ってしまう。
ゲーテは人間の到達できる最高のものはおどろくということだ、といった。
いまは、なにがあっても動じない心を佳しとする傾向が強いけれど
ハァーと声をあげて笑いあう人を見ると、どきどきしてくる。
思わず惹きこまれて、ことことと、私もしばらく笑ってしまう
