美術館に行った日は体の隅々までしずけさに満たされる。




絵画に特別な素養があるわけではないから


好きな絵をただゆっくりと愉しみたいだけなのだけど


絵との対話は知らない時代を懸命に生きた画家とのささやかな接点である。




酷評されて描きつづけることの、信念なようなものにも


心突き動かされる。




同じ人物を描いても、その人の心のありようによって


色彩も形もまったくちがってくる。


今回初めてルノワールの描いたモネ夫人を観て


よりそんなことを思った。




「日傘を差す女性」のカミーユは、


モネの生活のなかで、光に満ち満ちていた存在そのものだったのかもしれない。


美しい、その妻を下から仰ぎ見るアングルは


夫・モネの包み込むまなざしに羞っているようにさえ見える。




物語でも絵画でも含羞のある作品に私は惹かれる。






今回はゴッホの自画像が初来日で、展覧会場の最後に飾られていた。


蒼く黄ばんだ皮膚と痩せた頬、


神経症の発作と闘った後も、


ゴッホは狂気とのあいだをさまよっていたようにどこでも紹介される。




認められるというのが、ほんの一握りの世界のなかで


喝采までの遠い道のりをただキャンバスに向かい続けるのは


拷問に近いことだったのかもしれない。




それでも、なぜか最後まで絵筆を握った画家たちを


私は幸せな人生だったと思いたくてたまらない。




戦争もあれば、飢餓もある。


描きたいのに絵筆を持つことが赦されなかった人も多くいただろう。


さまざまな境遇を抱えながらも


そこにひとかけらの希いを込めて筆を下ろす。




苦しくても、魂が息づく時間は、唯一わがものである。