いやー、ついにというか、然るべき時が来たというか、大谷が松井のメジャー通算ホームラン数を華麗に抜き去っていきました。

 

 

まあもちろん松井が「メジャー(公式戦)で放ったホームラン数」というのは長いキャリアの後半だけで(しかもケガだらけで、、)積み上げたものであり、これらとは別に10発全てを鮮明に思い出せるプレーオフのホームランがあったことなどに鑑みれば、175本というのは「松井の凄さの一端を語る数字」でしかないのですが、それでも長年他の日本人選手では掠る気配もなかったこともあり、いつの間にか「それなりに凄みのある数字」として扱われていた、、、そんな印象ですね~。(もう無意識に松井を擁護する文章を書こうとする自分がいるのですが、ご容赦ください。笑)

 

さて、今回ふと思ったのが、「松井が最初から(あるいはもっと早くから)メジャーに行ってれば何本打てたのかなー」ということです。

 

イチローが日米通算安打数でピートローズを破った時にそういう議論がされたのに対して、「松井がボンズやアーロンに並んでたかも?」と考えるのはそりゃ無茶な話ゆえアメリカのメディアが考えないのは当たり前なんですが、日本人向けに日本のメディアがどっかでやっててもいいんじゃないかなー(でもたぶんやってない)と今回思いました。(そして今回もどこもやらなそう)

なので自分でやります。笑

 

 

 

偉大なる戦歴。

まさにグランドキャリア。

 

松井の日本でのキャリアは本当に浮き沈みで言うところの「沈み」がほぼなく、悪くてもせいぜい「伸び悩み」、さらに一定の頻度で「覚醒→大幅な成績向上」を繰り返していたといえます。

 

具体的には

1996年(4年目)に1度目の覚醒。(2年連続20本台だったホームラン数を一気に38本まで伸ばしMVP)

1999年(7年目)に2度目の覚醒。(3年連続30本台だったホームラン数を42本まで伸ばす。)

2002年(10年目)に3度目の覚醒。(ホームラン数50本。まごうことなきキャリアハイ。)

 

と、当時のコイコイ少年は松井の成長曲線を単純にホームラン数で考えていたわけですが、昨今のOPSやら何やらの様々な要素を総合的に勘案すると、、いや、そうしたとしてもこの一連のブーストのタイミングはあまりぶれない気がします。(2度目は99年ではなく2000年になるのかも、くらいですね。)

 

そして2003年。

日本ファンが毎朝(中継の時間帯)ショックで寝込みそうになり、コイコイ含む当時の野球少年たちにMAJOR27巻で特待生にボコボコにされた丸山君の如く「俺たちの実力は・・・まだ、こんなもんだっていうのかよ!」と思わせた4-6月を迎えます。その後持ち直した松井はヤンキースの看板選手の一人になるものの、ことホームラン数に関しては「メジャーでは日本時代の3分の1に減る(50→16)」という仮説を生み、続く挑戦者たちのほぼ誰もがその仮説に抗えない日々が続きました。(城島と井口だけが「福岡ドームをなめんじゃねえー!!」とばかりに「半減」くらいまで抗いました)。

 

さて2004年。

皆様ご承知の通り、松井は16→31本に倍増させます。その次の2005年の23本が引っ掛かる=2年目が出来すぎという考え方もあるかもですが、この2005年に関しては(あまり自分を大きく見せる発言はしない松井が)後年のnumberのインタビューで「もっとできたはずの年」と語っており、3年目は何かしらかみ合わず本数は伸びなかったものの、そして1年目はレベルやスタイルの違いに戸惑い適応に時間は要したものの、やっぱり日本の最後の年の松井の打撃レベルはメジャーで3割30発くらいの水準にあったと考えていいと思います。

 

では、仮に松井が大谷と同じく5年目のシーズン終了後、つまり1998年からメジャーに行っていたとしたら何本積み重ねられたか。おそらく現実世界と同様メジャー1年目は10本台に停滞(多分打率はもっと低い)したとは思いますが、しかし2年目、遅くとも3年目(つまり1999年か2000年)にはメジャーで20発以上打てるレベルに持っていけていたのではないかなーと思っています。

日本で好成績を残すために必要な進化とメジャーでのそれは当然異なるわけで、例えば日本時代2001年頃から見受けられた逆方向への弾道の高い(けど飛距離はそうでもない)ホームランや、グリップエンドに小指ひっかけて遠心力を使う打法などはメジャーではむしろ捨てないといけないものだったでしょうし、一方で松井の本質的なパワー(飛距離的な意味合い)は、今の大谷のようにウエートや食事で体を大きくしていく時代ではなかったこともあり、日本の5年目(37本)、というか4年目(38本)の時点で10年目(50本)とほぼ変わらないパワーだったんじゃないかなー、という仮説を立ててみます。

 

まとめると

 

1998年に渡米した場合の前提は~

 

・(実際の渡米より)5年若い肉体による投手や環境への適応力

・(実際の渡米時と)ほとんど変わらないパワー

・(実際の渡米時より)打撃技術は未成熟

 (⇔でも日本にいたことでメジャーではあまり必要ない技術に時間を割いた面もあったかも)

 

という感じですねー。

 

「既に完成した打撃をメジャー仕様にカスタマイズし直す」のではなく、

「成長途上でメジャーにわたりメジャーリーガーとしての大成・成熟に十分な時間を割けた」

 

とするならば!

 

ずばり!

 

コイコイ妄想版・松井秀喜のメジャー通算ホームラン数は!!
 

1998年(23歳):12本

1999年(24歳):20本

2000年(25歳):20本

2001年(26歳):25本

2002年(27歳):30本

 

そしてメジャーへの適応期間を5年で終え、元気に迎えるキャリア最盛期。

の本数をどう見積もるか。

基本的な打撃スタイルは大きく変わらないでしょうし、ここは現実に最高のペースで本塁打を量産した2009年(456打数28本塁打、つまり16.3打数に1本)を松井の完成形としてみます。シーズンを完走すれば大体600打数前後に収束するので、このペースを乗じるとずばり37本!この辺が松井の全盛期の平均本数になるんじゃないでしょうか。

 

2003年(28歳):37本

2004年(29歳):37本

2005年(30歳):37本

 

さらにさらに!

あの悲劇の左手首骨折(からのひざ痛のコンボ)がなかったとしたら!!えーん

 

2006年(31歳):37本

2007年(32歳):37本

2008年(33歳):37本

2009年(34歳):37本

 

現実同様に2009年までは同じペースで量産。

その後さすがに衰え始め、、緩やかに、、、と言いたいところですが、少しでもダメになったら恐ろしいくらい一気に成績が下がるのがメジャーの厳しさ。現実同様、終わりは一気に来るのでしょう。

 

2010年(35歳):20本

2011年(36歳):15本

2012年(37歳):5本

 

(現実と同じタイミングで)引退。

 

メジャー通算ホームラン数はなんと、、、

406本!!!

 

なおワールドチャンピオンには1998年-2000年の3回も合わせて、計4回輝くことになります。笑

 

 

いかがでしょうか。笑

割とあり得る線をついたつもりなのですが。

 

まあ逆方向に大きな打球を狙って打てるイメージではないのと、

ゲームの状況に応じた打撃スタイルを踏まえてホームラン数のピークはこれくらいなのかなと思いますが、

実際には35-40本の間を何年も打ち続ける全盛期になっていたのではないでしょうか。

パワーだけでなく自分のベストパフォーマンスをコンスタントに発揮し続ける力も歴代屈指の選手だったと思いますし、

ケガさえなければ、andキャリアの初期に海を渡っていれば、メジャーだけでこれくらいのホームラン数を記録してもぜんぜんおかしくなかった選手だと思ってます。

 

どうか令和の野球少年の皆様、「たった175本か~」とか間違っても思わないようにお願いします。ニコニコ