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| 昭和が平成に移り変わる頃から書かなく、あるいは書けなくなってしまった。 |
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| 話は簡単で新人類といわれる世代の棋士たちと話が通じなくなってしまった。 |
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| ただし幸運にも羽生善治の登場だけはしっかりと記憶に止めての観戦記者引退である。 |
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| 次男に将棋を教えたところたちまち勝てなくなったので、・・・デパートの将棋大会に連れて歩いた。 |
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| すると何処に行ってもカープの赤ヘル帽を被ったやたらに強い、倅と同い年の小さな子がいる。 |
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| ある大会で、倅より遥かに強い同門のO君が赤ヘルに大打撃を受けて半泣きになった。 |
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| 親子は顔を見合わせ、無言で倅のプロ志向を廃棄処分にした。 |
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| 羽生が五段の頃の将棋を二度観戦している。 |
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| 米長戦では一筋の端に食いついて離れず、遂に侵入に成功して九筋に逃げた王を見事に打ち取った。 |
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| 米長は手も足も出なかった。 |
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| 困った将棋を指すのが出てきた、という惑い表情を米長は隠すことが出来なかった。 |
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| 田中(寅彦)とのときは、羽生が顔を上げて相手を見た時、田中も負けずに顔を上げ、期せずして両者しばしの睨み合いと相なった。 |
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| 棋士同士のあんな睨み合いは後にも先にも見たことがない。 |
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| 私は対局室を飛び出し無人の廊下で思いっ切り呵々大笑したのである。 |
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| さて、芹沢博文九段が、羽生の将棋はコピー将棋だとこきおろしたのである。 |
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| このあけすけな”侮蔑”に羽生は、”私は気にしていません”と黙秘権を行使した。 |
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| 彼の死後その予言が殆ど当たっているのには感心するばかりであるが、羽生の評価だけは違ってしまったのである。 |
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| 羽生の例外的な終盤の強さを、嘘か誠か同世代の人気者、先崎学六段に言ったとされる 「終盤の手筋は八百に分類されます」 という台詞に見ることにしたい。 |
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| 今彼が一番頭を悩まし、使っているのは序盤から中盤への移行の部分らしい。 |
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| 彼が時々不可解な負け方をするのは、この部分で新しい手筋、或いは新手を発見しようとするからであるというのが「羽生評論家」田中寅彦の観察である。 |
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| 今新人類棋士たちはあちこちで研究会を結成、新しい手が発見されると明くる日はもう誰かが使う。 |
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| 他人の新手を使うのは悪いことでも何でもない。 |
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| 知らないことこそ恥さらしである。 |
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| 少なくとも10年は続くと我人共に思っていた谷川の天下は羽生によって呆気なく崩されてしまった。 |
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| その羽生が己の天下に秋が近づくのを予感するのである。 |
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| 名人位目指して昇級昇段を続ける程の棋士は、六段七段の頃が一番強いとされる。 |
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| ならば羽生善治名人の棋力のピークは今や去りつつあるのかも知れない。 |
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| 源平の昔から世界はライバルのせめぎ合いを望んできた。 |
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| 升田・大山、中原・米長、に続いて谷川・羽生の捩り合いがあってこそ将棋ファンの血も騒ぎ続ける。 |
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| 石堂さんの 「谷川がんばれ!」 が聞こえてきます。 |
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| 芹沢先生に洗脳されているのでしょう、羽生さんに辛口、谷川さん贔屓が目立ちます。 |
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| 羽生さんの登場によって、観戦記者が如何に振り回されたか、感じ取れる一文です。 |
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| 藤井さんの登場によって、現在の観戦記者の世界はどうなのでしょう? |
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| 作者 : 石堂淑朗ほか |
| 発行 : ベネッセ |
| 1997/1/10 初版 |
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