昨日(8/31)の王座戦第1局は、序盤~中盤入口での解説で「豊島さんの研究範囲!」。
 
感想戦の序中盤では、永瀬さんに ”波長が合わない感じ” がうかがえました。
 
豊島さんは ここでも角換わりの弾を打ってしまって、藤井王位への対策は大丈夫でしょうか?
 
今日(9/1)は 第48期棋王戦  挑戦者決定トーナメント 藤井聡太竜王 vs. 久保利明九段 戦です。
 
対振り飛車対局が少ない藤井五冠、試練の対局です。
 
 
 
『島研ノート 心の鍛え方』の密度が濃く、手間取っています。
 
ので、『しなやかな天才たち イチロー・武豊・羽生善治』 です。



<帯>  21世紀を担う スーパーヒーローの素顔に迫る!!
 
 
武豊がスーパークリークに騎乗して初めて菊花賞を制した時。
 
イチローが千葉ロッテ園川投手から二塁打を放ち 前人未到のシーズン200安打を達成した時。
 
そして、羽生善治が谷川名人を下し七冠王を達成した時。
 
マスコミはことごとく「天才」という言葉を用いてその快挙を讃えた。
 
それは、一見あまりにも芸のない表現であるかのように感じられたかもしれない。
 
しかし、若くして、その頂点に立ったといってもいいであろう彼らに対して、他の言葉が見当たらなかったというのが正直なところだったのだろう。 (はじめに より)
 
 
<目次>
はじめに
第一章 平成時代の父と子のジャパニーズドリーム~イチロー
    イチロー、天才の証明
    ・・・
    米国のプロスポーツが好き
    イチローが「ICHIRO」になる日
第二章 勝負師の血を受け継いだ新時代の勝負師~武豊
    二世騎手としての宿命を負って
    天才・武豊の出現
    ・・・
    自分の子供に伝えたいこと
第三章 クールなデータ分析をインプット~羽生善治
    天才・羽生善治の出現
    十代棋士が将棋界を席巻
    羽生と徒弟制度
    捨てる勇気
    ・・・
    羽生に終着駅はない
あとがきに代えて
 
 
 
羽生さんの生い立ちやプロまでの流れにかなりページを割いています。
 
わりと珍しめのエピソードを拾ってみました。
 
 
 
(天才・羽生善治の出現)
 
「とうとう、羽生善治が七冠を全部獲っちゃった!」
 
将棋関係者は、感動というより奇跡をみた驚きであった。
 
 
(羽生と徒弟制度)
 
羽生が小学生5年のとき、二上九段の自宅で 「飛車落ち」 の将棋を指した。
 
羽生が修業時代を含め師匠と将棋を指したのは、後にも先にもその時が最初で最後であった。
 
プロになって一度だけ公式戦で対局をしたことがある。
 
1988年度の勝ち抜き対抗戦で、羽生五段のときで、羽生が勝って恩返しをした。
 
二上九段はこれを機に現役を引退して、連盟の会長職に専念するようになった。
 
 
(捨てる勇気)
 
羽生の挙式は千駄ヶ谷の鳩森八幡宮で内輪だけが参加して行われた。
 
披露宴は目黒にある会員制のレストランの中庭で立食パーティー形式というものであった。
 
披露宴の招待客は130人と意外と少ない感じは否めなかった。
 
記者会見に臨んだ二人には結婚指輪がなかった。 記者の質問には
 
「ぼくは指輪をはめると、何か指を締め付けられるようで好きではない。 だからぼくのわがままで、結婚指輪は無しにしてとお願いしたんです」
 
隣の席で花嫁の理恵さんが、必死になって首を横に振り(わがままなんてとんでもない・・・)と言いたげだったのが印象的だった。
 
この、切り捨ての勇気と判断が、他の棋士に比べて優れているのが羽生の頭脳なのだと推察する。
 
 
(あとがきに代えて)
 
そんな彼らの共通項はというと、極めて高い集中力と、とてつもない情熱と、そのことへの思いなのである。
 
 
 
佐藤康光さんが、将棋と茶道・歌舞伎の組み合わせなら、 羽生さんは イチロー・武豊との組み合わせです。
 
将棋は伝統遊戯ですし、スポーツの一面も持ち合わせているところはみなさん説かれています。
 
Amebaブログは、麻雀・囲碁・将棋 の組み合わせです。
 
目の付け所はよいと思いますが、部数がはけるかは別のような気がします。

 

 

 
         作者 : 万代勉・鈴木学・大矢順正
         発行 : アリアドネ企画
         1996/7/21 初版