今日(2021/2/18)は、 第34期竜王戦…2組ランキング戦2回戦  藤井二冠vs広瀬章人八段
ABEMAの 解説者は、森内俊之九段・遠山雄亮六段・増田康宏六段。  聞き手は 宮宗紫野女流二段・安食聡子女流初段 です。
 
 
本書は、内藤國雄九段、と 故米長邦雄永世棋聖の3度にわたる対談(2003.11.15、2004.2.21、3.6)をまとめたものです。
 
内藤九段は、1976年から1977年にかけて「おゆき」が100万枚以上を売上げ、当時 「棋士の中で最も歌が上手く、歌手の中で最も将棋が強い人物」と称されました。

詰将棋作家としても有名で、代表作に「玉方(ぎょくかた)実戦初形」、「攻方(せめかた)実戦初形」、「ベン・ハー」等があります。

加藤一二三、有吉道夫に続く史上3人目の通算1000敗達成しています。
2015年3月31日 引退。
 
故米長邦雄永世棋聖は、「矢倉は将棋の純文学」という有名な表現や、「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった(3人の兄は東京大学に進学)」など あまたの名言を残しました。

タイトル戦12連敗(1987年名人戦第3局から1989年名人戦第4局まで)は記録です。
2003年(平成15年)12月17日、現役棋士を引退。

最後の棋戦となった2003年度の王将戦では予選で2人のA級棋士・三浦弘行、藤井猛を破り本戦リーグ入りをします。
リーグ最終戦での引退が確定しましたが、その直後の4局目の対局相手は佐藤康光棋聖(当時)でした。
佐藤棋聖は対局当日、和服(羽織袴)を着用して下座に着きました(本来はタイトル保持者の佐藤が上座)。
米長永世棋聖は急遽、対局場(将棋会館)に和服を取り寄せ、午後から和服姿で対局しました。
残る2局は森内俊之竜王(当時)、郷田真隆九段との対局でしたが、彼らも和服を着用します。
米長永世棋聖は事前に雰囲気を察知し、この2局は自らも朝から和服を着て対局に臨みました。
「将棋界を代表するメンバーが羽織袴で敬意を表してくれたことは、何よりの餞」と語っています。
 
そんな 二人のクニオの対談集。



 
<帯>  東の米長、 西の内藤、 棋界に2人のクニオ
         思わずニヤリ、 時にはホロリ。
           才能と運が交差する 9×9 の将棋盤。 そこにはまさに人生があった。
 
米長 「・・・しかし、将棋指し一人養うのは大変ですよ」
内藤 「先崎と林葉・・・大変なことやね」
米長 「ぼくも含め、三人とも個性が強いからね。 いま考えてみたら、あの二人を同時に内弟子にとれるというぼくも大したものだ。」
内藤 「もう、それはイエス・キリストの境地だ (笑)」
 
同世代の芹沢博文九段の豊富なエピソードは うれしいですね。
 
升田さん、大山さん、ほかの先生方のお話もでてきます。
 
米長先生の横に 先崎さん10代のころ(二日酔い?)と思われる写真など お二人に関連する写真も多数掲載されています。
 
勝負の世界の記述。
「将棋の世界では、どんなに勝ち続けた人でも、最後には二勝一敗ペースを切るんです。
 反対に、どんなに負けていても、最終的には一勝二敗のペースを上回る。
 ・・・・  その枠の中で、1000勝したとか、タイトルを取ったとか、いろいろな成績の棋士がいる ・・・。
 それが勝負の世界なんです。」
 
対談の中にも名言(!?)がちらほら ・・・・
 
独特のユーモアと”勝負師”としての素顔が垣間見え、濃厚なエピソード満載の対談です。
 
すばらしい一冊です。
 
 
<もくじ>  
まえがき 米長邦雄
第1章 ふたりのクニオ
第2章 師匠として 弟子として
第3章 愛すべき棋士たち
第4章 棋界あれこれ
第5章 同じ空気を持つ者たち
第6章 勝負師の引退
あとがき 内藤國雄
 
 
             著者: 内藤國雄/米長邦雄
             2004/8/25 初版