「現在(1995年当時)発行されている将棋雑誌や単行本なども、どれも網の目のように張り巡らされたタブーや因習を守り、あたりさわりのない記事に終始しているのが現状だ。」
「というわけで・・・棋士の本音に迫り、・・・修羅場の世界などを、気鋭の執筆陣により徹底的に取材し、紹介していこうというコンセプトのもとに生まれた。・・・」



 
本書は1995年6月10日の出版。

七冠制覇の前年、羽生六冠の挑戦を退けた谷川王将との王将戦最終局(千日手指直局)を記した「第1部・谷川王将VS羽生名人 7冠の臨界点」。

1995年1月からの王将戦七番勝負で、全冠制覇をかけて谷川王将に挑む羽生六冠は、この間、同時進行していた棋王戦五番勝負では森下卓八段に対し3-0で防衛をしていた。

王将戦最終局(1995年3月23-24日)は、相矢倉の戦形となったが、2日目に千日手が成立。先手・後手を入れ替えての指し直し局は同日中に行われたが、40手目まで千日手局と同じ手順で進行。つまり、相手の手を真似し合ったような格好であった。最後は谷川の111手目を見て羽生が投了。

阪神淡路大震災で被災したばかりの谷川によって、七冠制覇を目前で阻止された 羽生がタイトルに挑
戦して敗れたのは、これが初めてであった。

この第7局の2日目当日、対局場のホテルには、将棋界の取材としては異例の数の報道陣(約150名)が大挙して詰めかけていた。
 
奨励会当時、14歳の羽生少年と対戦したことがある 古作登氏による「羽生マジック」。
「今年森内がA級に昇級し、・・・二人のライバル物語は これから本番を迎える。」と記した甘竹潤二氏の「ライバルから見た羽生名人」。 まさか森内さんが先に永世名人を獲得するとは・・・
皆で寄って集って「羽生名人を裸にする」第2部。
 
1994年5月29日、すべての活動を停止ししばらく休養したい、棋士としての処遇は日本将棋連盟理事会の決定に従うという旨の休養願いを提出し、 6月9日、10日の対局に現われなかったことで、6月11日の失踪報道となった「林葉失踪事件」を扱った「第3部・封じ手を開いた女流棋士・林葉直子」。
林葉直子は、翌年の1995年8月24日に、将棋連盟を追われる様に去る。段位は女流五段だった。
 
21歳までの初段への昇段規定をクリアできず奨励会を退会した 片山良三氏の「第4部  天才集団・奨励会の夢と現実」。
 
「月下の棋士」を扱った「第5部 バイプレイヤーたちの神話」。
 
”波乱盤上”といっても、羽生七冠前夜を切り取った「羽生本」です。
 
<もくじ>
はじめに
第1部  谷川王将VS羽生名人 7冠の臨界点       畠山直毅
第2部  羽生名人を裸にする
     羽生マジック                    古作 登
     羽生名人、痛恨の敗戦譜            武者野勝巳
     ライバルから見た羽生名人           甘竹潤二
     女性から見た羽生名人の魅力         湯川博士
     羽生名人の対局作法              山岸浩史
第3部  封じ手を開いた女流棋士・林葉直子       畠山直毅
第4部  天才集団・奨励会の夢と現実           片山良三
第5部  バイプレイヤーたちの神話(月下の棋士)    米沢嘉博
  著者紹介

あすか将棋読本
1995/6/10 初版