かれこれ7年も昔のことなのだが、名古屋・栄で「12人の庭」というガーデンショウに出品した。振り返ると懐かしいのと同時に、当時考えていたこの庭のコンセプトに、今でも変わらない、自分の庭のテーマを見ることができるので書いてみたいと思う。
「余白の庭」ー
庭を構成している物をそのまま見て楽しむ以外に、何かそのものをきっかけに、他の物が見えたり、感じたりできるそんな余白を今回のこの庭で表現したかったと思います。
それは壁に映るうつろう木々の影に太陽の光を見たり、草木の擦れあう音に風を感じたり、月明かりの暗がりの中で、庭を構成している物がだんだん浮かびあがってくる静寂にひたったり・・・
実際に中国“万里の長城”の床の修復用に現在も使われている“セン”を踏みしめる時、ふと遙か異国の昔に想いを馳せて、想像力によって壮大に広がる空間だったり・・・
それも個々の人によって様々な感じ方ができる、そんな余白をどうしたら見せることができるのかと考えました。
偉大なる建築家“ミース・ファンデル・ローエ”の言葉をかりれば、“less is more”最小限は最大なりということが少しでも自分の中で消化できればと思っています。
このときは五感で感じるものという発想だったので、光、風、音、想念、静けさといった、少し要素がありきたりだったのだが、庭を介して他のものへと意識が拡がっていく開放感は、今も目指すところである。庭そのものの向こうにある「自然の営み」に近づけることが楽しい。
庭は自然を想う場である。植物や自然の産物の断片に通じ触れることで、安らぎや癒しと共に、より深く豊かな自然と繋がることができる。だからこそ庭は存在するのである。
ガーデンショウ 出品作品
西日が目に見えるよう意図した壁
最近出会った本に「ごはんとおかずのルネサンス」という料理本があった。普通料理本は新しいレシピがいくつも並べられ、必要な時にパラパラめくるものだ思うのだが、この本の主題は食の思想でレシピは従といった、思わず読み込んでしまうような面白い本であった。筆者弓田氏の肩書きはパティスィエ、フランスやヨーロッパの食に通じているから見えてくる、この国における食文化の危うさ、特に素材の退廃を憂い、「日本人の健康と本来の食を取り戻すために」と題して、あるべき食の姿に私たちを導こうとしてくれている。
「澄んだ味わいなどいらない」とか「軟らかさはおいしさの基本ではない」とか、沢山のフレーズが力強く語られている。もしかして今、世の中が抱えている数々の問題の元をたどると、こうした思いこみの価値観が間違っていたことに行き着くのではと感じられた。
筆者は「何のために料理を作り、そして食べるのか」と問いかける。それを受けて私は「何のために庭を造るのか」ということを自問する。究極につきつめると、やはり私も「人の健康と幸せのため」「生きるため」ということになってしまうかも知れない。「庭」は「食」とは違い、そんな大げさなものである必要はないのだが、しかし見てくれや形式のみではもったいないと思う。「庭」を通じて「生命力」や「身近を愛する心」など、感じられることは沢山ある。
はらはらと落ち葉が舞う季節、木々の色づく美しさや儚さと裏腹に、樹木はすでに春に備えて新たな準備を始め、休まず生命の営みを続けている。そんなたくましさも同時に感じたい。
私たちも人々が健やかに暮らせるために庭を造る。そんな想いをどう形にするか・・・
やるべきことはたくさんあるが、一歩一歩確実に歩んでいきたい。



