「男は色々大変なのよ」

だって。

旅行の予定や飲み会の予定は真っ先に入れて絶対忘れないのに。
家族写真の撮影日は忘れるんだよ?

私だって仕事してて、子供全員の習い事、病院、学校の予定に加えて役員の仕事までしていても、

「男は色々大変なのよ」

で済むんだ。。。

悲しい。
私はなんのためにいるんだろう。
子供たちは確かにかわいい。大切な宝物だ。

でも、私にはお風呂に入って自分の頭を洗いたい、朝までぶっ通しで寝たい、そんな簡単な自由すらないと言うのに、

「それはわかっていて子供作ったんでしょ」

でおしまい。

むしろ、
「夫に優しくしないからこんな風になっちゃうんだ」

と責められて終わり。

優しくしても、やるよ?
昔からそうだったもの。

ジブンしか愛していないんだから。
子供よりも、ジブンなんだから。

だから子供が命の危険があって入院していても、
お見舞いに来ないだけでなく、
私の不安を受け止めてくれるわけでもなく、
夜な夜なジブンがネットで調べるのは、
子供の病気についてではなく、新しい風俗店のことだけ。

だから私がひどい熱で声も出なくて、
代わりに保育園の運動会に行ってと頼んでも、
「仕事だからムリ」と言いながら、
まさにその時間に女とホテルに行く。

だから私が産休入って収入が途絶えるタイミングで、
「俺が稼いだカネは俺のものだ!」
と1円も家には入れなくなり、
公正証書作れば「そんなことするからお前が悪い」
と逆ギレされる。

だから
「カネ出せ!」
と朝の5時に子供たちもろとも叩き起こされ、
一人ゲレンデに行くためのお金を要求される。

だから「仕事減って家にお金入れられないかも」と言いながら
ジブンは推定60万のバイクを買って一人遊びに行く。


何もかも放り出して消えてしまいたい。

この、【失われた孤独な10年】
それを繰り返していいのか??

子供たちには父親が必要だから?

私には何もなくて、ただ我慢だけしていれば?

何かあれば全部私のせい。
子育ての責任も、夫婦関係の責任も。

じゃ、誰が私のケアをしてくれるの?

私がいなくなったら?
いや、きっとなんとも思わないよね。
子供たちが悲しむだけ。

でも、消えてしまいたい。
私はジブンを捨てるしかないのに、
それでも、まだ足りないと言われるんだから。
『許せない』という気持ちで最も不自由な思いをするのは
相手ではなく自分自身なんですよね

不自由な『許せない』という気持ちが大きければ大きいほど
そのストレスに悩まされて
その痛みと同じくらいの制裁を相手に与えたくなるということ
要するに自分と同じ痛みを味わってほしいということですね

相手を叩いて気が晴れるのならそうすりゃいいとは思いますが
多くの場合は気が晴れるどころかさらに憎悪が増すだけ
叩けば叩くほど『許せない』という気持ちが大きくなるだけで
それはやがて『執着』に変わってしまうだけなんですね

結局『許す』という行為は相手のためではなく自分のためにするものなんですよ
『許せない』という思いでこれ以上自分自身を苦しめたくないという思いから
その一件を諦めるということ

べつに菩薩ではないので相手のことなんて考えなくていいです
自己防衛のため、自分の心身を健全に保つために許すだけなんです
どうでもいい輩に心身を消耗させるほどお人好しではありませんからね

憎悪に執着すると知らず知らずのうちに自分の価値を落としてしまうことになります
自分が大事なら自分のために許しなさい
そして相手の人格はもう諦めなさい

新年早々、喧嘩。

ブチキレた私に『またヒステリー起こしてるよ』だって。
なるべく怒らないよう、普段は我慢してんだよ。堪忍袋が切れたからブチキレてるのに、いい加減にせいよ?!
ほんと最悪。いなくていい。

何が腹立つって、
【面倒なことがあるとすぐに逃げる】その姿勢であり、【本質と向き合わないから改善しない】ことからさえも目を背けること
である。


本当に悲しい。

うちとは正反対過ぎる。


自らの楽しみや利益よりも、人の幸せを優先する彼の人柄に~


■中谷美紀コメント全文
突然ですが、このたび結婚の運びとなりましたこと、ご報告させていただきます。
お相手は、ドイツ出身の音楽家ティロ・フェヒナーさんで、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、そしてウィーンフィルハーモニー管弦楽団、さらには管弦楽アンサンブルPHILHARMONIXにて、ヴァイオリンより少しだけ大きく、チェロよりはずいぶんと小ぶりなヴィオラという楽器を奏でています。
日本とオーストリア、異なる国で暮らす私たちは、話せば長くなるような不思議な偶然が重なって、2016年の秋に出逢い、信頼関係を育んで参りました。共に山歩きをする時などは、常にこちらのペース配分に配慮し、自らの楽しみや利益よりも、人の幸せを優先する彼の人柄に惹かれました。ヴィオリンをはじめとする様々な楽器の音に真摯に耳を傾け、自らの音を主張するのではなく、調和を大切にして来たヴィオラ奏者だからこそ、私のような自由を愛する人間をも手なずけることができるのでしょう。
これより拠点はオーストリアになりますが、語るべき物語を携えた誰かを演じる日々と、何者でもない自分に戻る日の緩急をつけて、これまで通り大切にお仕事をさせていただきますので、変わらぬご愛顧をいただけましたら大変ありがたく存じます。また、オーストリアへ送ることのできる荷物には限りがあり、お礼のご挨拶に馳せ参じることも叶いませぬゆえ、お祝いなどのお心遣いは謹んでご遠慮申し上げます。最後になりますが、皆様のますますのご健勝を心よりお祈りいたしております。