ある人の「一人の時間」の考えに対して自分の経験からの意見を伝えたら、拒絶されてしまった事があった


私自身、離婚をして今は一緒にいてくれる人もいる。

それまでちゃんと
一人の時間があった
孤独の時間があった
漠然とした「寂しさ」「不安」も味わった

そのタイミングで出会った人に好意を持ってもらって
ちゃんと
好きになって一緒になった


そんな流れを知ってての拒絶だったから
なぜか自分はあの人が
“寂しさから誰かと居る
独りになってないくせに”
と思ってるんだろうなぁ~と


そんな風にあの人が言った事はないし、はなから思ってもない気がする


本当の本当は自分自身がそう思っているだと。
「例えそれが寂しさから誰かと居て何がいけないの」と
開き直っているようで、時折ひっかかる。

『自己愛』
簡単なようでとても難しい

『一人になる』
お遍路をしてみたいなぁーって惹かれたけど、同じ経験をする事じゃない気がする。



ブログを読んで、なんとなくだけど今ならわかる。
経験の深さが違う。
独りの時間の向き合い方の。
時間の長さではない。

私の浅はかさ、軽さ
全然同じじゃない

ブログの何を読んでたんだろう。
恥ずかしい


あの人の『今』という現状がわからなくてモヤモヤして
何か掴みたくてブログを読み直した。でも、それも『今』じゃないじゃん!過去じゃん!
って思ってたけど

読み直したら、正に『今』響くんです。
「あ!」「あ!」「あっ!」の連続です。感度良好テヘ

いやぁ~まじで、こんな人いる?
永遠の気付きの人
人生の師匠

『過去』なのに『今』なの!
いつでも感度良好なの?自分(変態)

最高やなぁ~自分
最高やなぁ~あの人


宇多田ヒカルさんの『道』の歌詞にやられて
聴いてます。

お遍路ではない私の道がある