3月31日に、1年間お世話になったサーバーエージェントを退職しました。
ごく少数の友人にしか見られていないブログなので、流行りの辞めましたブログ流にいろいろ赤裸々に、自分なりにこの1年間を振り返ろうと思います。

2012年に立教を卒業した僕は、就活ではネット広告代理店3社しか受けませんでした。
どこの会社に入っても、同じ事になっていたなと今では思います。
ネガティブな意味ではなく、自分のやりたいこととか生き方って代理店で働くことではなかったということにそのときは気付かなかったからです。


【営業時代】

4月に志望していた代理店事業の営業部署に配属されました。
若くてイケイケなイメージの会社ですが、僕の配属先はアラサーひしめくベテランの強面集団、イカつい男たちが一斉にタバコを吸いに行く姿は「大名行列」と噂され、事業部でも異質な営業局でした。他の新卒は2年目とか3年目の先輩がトレーナーとして着くのですが、僕の場合6年目のベテラン社員の方でした。

ここで社会人として必要な基礎力や「営業とはなんぞや」という部分を叩き込まれました。実業務以外でもクライアントワークで必要不可欠なコミュニケーション、酒の席での盛り上げ、夜力(w)などなど、僕の配属は本当に正解だったんだな、と今でも思うほど社会人としての重要な多くを吸収させて頂きました。

クライアントワークとしては金融や健康食品など5社を担当し、純広やリスティング、amebaとのコラボ企画の提案などをしていましたが、特に目立つことも数字の成果もなく時は過ぎていきましたw とにかくクライアントの成果第一に考える姿勢、クライアントが求めているものを常に先読みして情報提供する配慮、気配りなど、学んだことは数知れずです。

7月、8月は特に忙しく帰宅時間がおかしなことになっていましたが、グループの雰囲気はメリハリがはっきりしていて、めちゃくちゃ怒られてもタバコに誘ってくれたりオフモードになるとコロっと空気が変わったり、本当に恵まれた素敵な環境だったので精神的ストレスは一切無く、クライアントからも可愛がって頂いていました。

サイバーエージェントの魅力のひとつはまずこの教育制度に対する先輩方の姿勢かと思います。自立した新卒が育たない、という意見もあるかと思いますが、無知が理由でなにも分からない時期に10分考えてわからないものは一生わからないからとにかく質問させる、という方針は間違っていないかと思います。

会社がSAP事業やコミュニティなど新規サービスに注力するため、代理事業を粗利指標としリソースを削減する、という方針が2011年に決まってから配属された訳ですが、そこを再度攻め立てるという雰囲気がオフィスには溢れていて、くそしんどかったけどとても充実した半年でした。先日営業時代の先輩方に最後の挨拶に行ったとき、僕の元マネージャーが局長に昇格したということを聞き、わんさか涙があふれました。13年新卒で局選びに迷っている後輩(?)がいたら、迷わずその局を推薦します。


【子会社のAMoAdへ】

8月28日、代理事業部の統括からサイボウズを抑えられ、面談するから来てねーとメールが。月末のこの面談は異動の告知だということを噂で聞いていたので、「まじかー…」という気持ちでした。なんの発言の権限もなくw9月1日からスマートフォンのアドネットワーク事業を行っているAMoAdという子会社に異動になりました。オフィスが21階から23階に変わりました。

売る物がアドネットワークひとつに絞られる、元いた代理事業部の方たちに売ってきてもらうのでクライアントと直で話ができない、などなど始めは懸念が多くありました。
しかも自分の苦手な分野だと避けていた数字分析や広告配信の運用に心配ばかり感じていました。

異動後2ヶ月くらいは管理画面の使い方から運用ノウハウまで、覚えることが多すぎて迷惑ばかりかけていました。しかし通常業務になれてくると子会社の環境の良さを体感し続ける日々でした。

まず50人しかいない会社なので、ひとりひとりが会社を背負って経営目線で働いている!とまではいきませんが、会社が目指す方向性、やらなくてはいけないことを常に把握しているというのは会社本体には無い良さだと感じました。藤田社長は滅多に会いませんがAMoAdの社長はなんと25歳。すぐそこにいます。

新卒が背負っている裁量も代理事業部とは格段の差であり、いかに新卒の採用や活躍が重要かということも思い知らされました。僕も11月頃から月数千万の売り上げ目標を持ち、AMoAdという会社をどうやって成長させるのか、常日頃から意識できるようになりました。先輩のせいにできない、自分が会社を変えるんだという意識が芽生え、これがいわゆるベンチャー企業の良さと言われる部分なんだと知りました。

僕が優秀だったからでは一切ありませんが、11月から全社で最も重要とされるご存知amebaスマホのプロモーション担当になり、1月からはまた別の会社としても最も大きなクライアントを任されるようになりました。もちろん仕事量は格段に増え、睡眠時間は瞬く間に無くなっていきました。しかし一緒に仕事をするメンバーが会社でも超優秀なエグゼクティブとよばれる営業の先輩方で、環境は一変しました。

自分が苦手だと決め込んでいたデータだけが信用される世界。ロジックと仮説の連続。
配信面とCPCの調整をひたすら繰り返す、Excelとの戦いです。でも営業のときよりお金の流れを意識するようになり、CPAの概念は今後どんな仕事でも絶対に必要でWEBの世界に限らず自分に生きてくると思います。

【合わなかった点】

いくつかありますが、一番重要なことは会社が嫌で辞めたわけではないということですw合わなかった点がいくつか合っても嫌な点はひとつもありませんでした。

まずは社員が会社を大好きすぎたところに大きなギャップを感じました。
もちろん人それぞれとは思うんですが、土日も会社の仲間達とゴルフや飲み会したり、同期で飲んだりもうみんな仲良すぎて。これは全然ネガティブに言っているわけではなく、自分は家にも他にもいろんなコミュニティがあって、全然違う世界で生きてる人たちに接するのがすごく好きでした。もちろん会社の飲み会に行きたくないとか強制されるとかは一切無く、単純に会社の人たちと違うんだな、って感じたところです。この会社風土を作る人事制度は本当に素晴らしくて、他にこんな会社ないなって思います。
リア充な会社だと世間から思われるのも、そういう理由かと思います。

人生レベルで仕事をどう捉えているのかってことを話す機会があまりにも少なく感じました。平日19時に終わって帰れる仕事ではないので仕方ないとは思いますが、みんな集まっても飲み会でも仕事の話ばっかりで、組織としては素晴らしいと思いますが僕には合いませんでした。ひとつのことに没頭することがどれだけ重要か働き始めて感じたので、なにが正しいかはわかりませんが。

30歳過ぎてもこの仕事を夜中の2時までできるかって言われたら、僕は絶対にNOでした。もちろんそれぞれのライフプランやスタイルがありますから、それを否定するような愚かなことはしませんが、僕自身に置き換えるとやっぱり自分の心底愛する仕事じゃないとこうは頑張れないな、と思いました。これは結構大きなポイントでした。

これは僕にとって短所であり、好きな事になら本気で没頭できるという長所と表裏一体の、難しい課題だと自分でも昔から自覚しています。でもやっぱり自分の本当に好きなものを売りたいという気持ちが大きくあります。


【恵比寿ハウス】

AMoAdへの異動と同時に、偶然家も引っ越ししました。
元より住んでいた三茶のシェアハウスから、規模を2倍にも3倍にもした恵比寿の巨大な一軒家へ。まだ越して半年ですが、ここでの生活が僕の人生をめちゃくちゃ動かしています。会社を辞めたのも、この家に住む素晴らしい住人たちや遊びにくる半端無く人生を謳歌してる人達の影響も少なからずあります。

Couch surfingの受け入れを本格的に開始し、毎週のように外国人が家に泊まりに来るようになりました。250ヶ国旅した人、世界中の砂漠マラソンに参加している人、村を作って住んでいる人、ゲストハウスをやる人。この半年で出会いの幅が爆発的に広がり、薄っぺらい言葉ですがまさにいろんな人生があるんだなと感じました。

そして会社では果てるまで働きながら、一緒に住んでるしみなおと塁とTABIPPOを必死に動かしたこの半年で得たものは、会社で得られるものとは全く違った側面で自分の糧になったんじゃないかと思います。毎晩夜中の1時2時に恵比寿のサイゼに集合しTABIPPOの作業するのは本当にしんどかったけど、今ではいい思い出。もちろんこれからも続きますが。

とにかく僕は自分のやりたいことを貫いて輝いて生きていきたい。
今後やることは追って書きますが、とにかく幸せを誰よりも浴びて生きていきたい。本気で信じていたサッカー選手になる!という夢を諦めはや6年。次なる夢は大好きな人たちと大好きな場所で大好きな仕事で食って大好きなことをしながら生きていくことで、この夢だけは一生諦めたくないなと思います。

日本人は平均して4番目の夢に落ち着くって聞いた事があります。
僕はサッカー選手を諦めて大学入学が決まったとき高校の先生になってサッカー部の顧問になるかって一瞬思っていたけど、それをカウントしなければまだ2番目の大きな夢です。もう妥協はしないで貫いていきます。


サイバーエージェントは本当に素晴らしい会社でした。
一生お世話になりたい先輩にたくさん出会いました。
数少ない気の知れた同期にいろいろ悩みを打ち明けたりもしました。

でっかくなって恩返しできたらな。

これから先のことに一切触れずイラっとさせたらすみませんw
今後ともよろしくお願い致します。


2013年4月7日 小泉翔