『今日の芸術』 その2 ~「謙虚」を考える~

前回 紹介した、岡本太郎氏の『今日の芸術』があまりにも心に響いたので、
しつこく(笑)読み返しています。
本の中のそれぞれのテーマで、
考えさせられることが多々あるため、
テーマごとに感じたことを書いていこうと思います。
本日は、「謙虚」について。
「謙虚」。
日本の美徳とされるところであり、
私も多用する、対日本人やんわりコミュニケーション技術。
でも、これって、最近私の中で格下げの技術です。
極端に謙虚になられすぎると、
その人のうわずみの姿を見せられてる感じで (^_^;)
むなしく、切なくなるから、苦手。
といいつつも、何だかうわずみの謙虚であろうとしている自分もあります。
そのほうが楽だったり、感じもよさげだし、物事がまぁーるく収まったりするから。
「いえいえ、私なんて・・・」って、必要以上に言うときもあります。
そういえば、良い悪いは別として、
外国人はあんまり、この技術つかわないですね。
「私の奥さん、本当出来が悪くて。。。」なんて他人の前で言おうものなら、
その人の神経が疑われますし、離婚の原因にもなり得るかも知れません。
さてさて、岡本氏も日本の美徳「謙虚」について考察しています。
「ただ自分を無にしてヘイヘイするという謙譲の美徳は、すでに美徳ではないし、
今日では通用しない卑劣な根性です。」(抜粋)
つまり、日本人がさす「謙虚」という名の下に、
表面上の飾りのように、「私なんて・・・」と言ってみたところで、
それは、腹の中ではうぬぼれている場合か、
そうでなければ、とことんまで卑屈になっているのだ、と言っています。
噛み砕いていえば、
腹の中ではどう考えているかわかったもんじゃないのに、
ある種、身だしなみのように「謙虚」になって自分を偽るなよ、
という事です。
で、こういう「謙虚」は、本当の意味の謙虚ではないのだと。
では岡本氏の考える「本当の謙虚」ってなんなのでしょう?
「私は、謙虚というものは、そんな、人の前で、おのれを無にするとか、
低く見せるという事では絶対にない、
むしろ自分の責任において、おのれを主張する事だと断言します。」(抜粋)
「おのれ自身に対しては残酷に批判的で、つまり謙虚でなければならないのです。」(抜粋)
岡本氏の考える謙虚。
それは、「自分に対する」謙虚です。
自分を下げることではなく、
自分を押し出した上で、その押し出した分に対し全責任を負う、ということです。
簡単に言えば、
「やると言ったことは、やる。」
自分の信念に基づく、有言実行の精神です。
これは、私の考えていた謙虚とは、むしろ正反対。
でも、分かる気がします。
自分を肯定し、自分の信じた道をたとえ孤軍奮闘であったとしても、前進していく。
そのために、足りない部分を補い、自分自身を強くしていく。
これが真の謙虚なのだと。
岡本氏の生き様とこの言葉が今、重なりました。
大きく奇抜な発言で、頭のおかしな芸術家と見られていた彼。
(少なくとも私はそう見ていました 汗)
でも、彼の信じる道を突き進み、
ストイックに謙虚であった姿だったんだ、と今分かりました。
とりあえず、
何かを褒められたときは、素直にありがとうと言おう。
上っ面の謙虚はもうやめよう。
何か信じる道があれば、責任を持って前進しよう。
そう、思いました。