日本のラグビー負けてしまいましたね。 

 

 とても残念です。

 

 でも 最後の最後まで素晴らしい試合でしたね。

 

 相手の アルゼンチンチームも

 

 本当に 全力で試合していましたね。

 

 そして 本当に強かった。

 

 両チームの皆さんには

 

 素晴らしい試合を見せてくれたことに

 

 感謝感謝です。

 

 家内と二人で

 

 大声出して応援していましたよ。

 

 いつも言うように

 

 私も家内もラグビーなどには

 

 全く関心がなかった。

 

 息子が 私の友達に誘われて

 

 小学校1年生で川越のラグビースクールに通う前まではね。

 

 今から 23年前のことです。

 

 そして 彼が高学年になって

 

 ラグビーの聖地。 熊谷で試合をするようになって初めて

 

 応援に行くまではね。

 

 そして いよいよ息子が高校に入り

 

 本格的に ラグビーをはじめ、

 

 3年生の時 チームのキャプテンになり、

 

 それと同時に私が 親の会の会長になって、

 

 ますます 熱が入ってね。

 

 親ばか意外の何物でもなかったですね。

 

 そして その息子は 結婚し、今では一人息子の父親。

 

 初孫は これからどんな人生を歩んでいくんですかね。

 

 自分のやりたいことを

 

 自分なりに考えて考えて 自分らしく

 

 強くたくましく 幸せな人生を送ってもらいたいですね。

 

 人のために 社会のために

 

 親孝行を忘れないでね。

 

 どんなことにも全力で頑張れる人になってほしい。

 

 何をやるにしてもね。

 

 人を騙したり、

 

 人の不幸の上に自分の幸せを作ろうとしたりしないでほしい。

 

 弱い者いじめは絶対ダメですよ。

 

 それだけは 私の父が口うるさく

 

 わたしに言っていたことですから。

 

 「弱いものほど 武器武装をしたがる。そんな弱い人間にだけはなるな。」

 

 とも言っていました。 

 

 戦中は予科練にに行き 戦後 海上自衛隊に入隊。

 

 水産大時代に航海士(海技士)の免許を取り

 

 それを生かして 自衛隊でも軍艦を動かしていたんですよ。

 

 でも私が生まれてからは陸に上がり

 

 通信の仕事に従事。

 

 今思えばすごく怖い仕事をしていたんですよ。

 

 だって 国家機密中の国家機密ですよ。

 

 若いころわたしによく言っていましたもん。

 

「政治家だけには 国家機密は話せない。」

 

 ってね。

 

 「特に大臣はみんなバカ連中だから始末が悪い。」

 

 とも言ってましたね。

 

 勉強しろなんて野暮ったいことは一切言ったことない父でした。

 

 しかし 使命に生きる人間になれとか

 

 使命に生きる人間は強いとかは 

 

 よく言ってましたね。

 

 私もその通りだと思いますね。