こんなタイトルを「ちょっとした不運」レベルのテンションで書き込みできる世の中に感謝

家にいる次男坊が熱が出た、ということで医者に行って検査したらコロナ反応

ちなみに、わが家に直接コロナが関わってくるのは初めての出来事

 

まぁ、そんなところです

 

 

チェリーシュリンプの繁殖挑戦(1)

 まずは前提だががヤマトヌマエビ7回目の挑戦は前回投稿の二日後、失敗に終わりました。以上、終わり。

 その後、またヤマトヌマエビの抱卵がないかな、と水槽を覗いていたらイエローチェリーシュリンプとレッドチェリーシュリンプの抱卵を確認。チェリーシュリンプとはミナミヌマエビの色のついたので、黄色いのがイエローチェリーシュリンプ、赤いのがレッドチェリーシュリンプ。まぁ、正解ではないがほぼほぼこんな感じ。ちなみにこれに近いのがビーシュリンプで、これは色が縞模様になっている(蜂みたいに)奴で、こっちの方が希少価値が高い。

 これまでも何度か挑戦してその結果出たのは「ミナミヌマエビ系のエビは手をかけるほど失敗する。何にもしないのが一番成功する」と言うこと。現に、すでに水槽の中では赤い稚エビが泳いでいる。それからすれば今回の挑戦は無謀というか、わざわざ危険な方向に行っているわけだが、それはそれ、人間の生命に対する冷酷な遊戯である。私を知る人は私のことを「温かい人間、熱い情熱」と思っているようだが、私は生命に関しては結構冷たい人間である。父の死の時は泣かなかった。悲しくもなかった。母が死ぬ時、たぶん、泣かないと思う。犬を始め、長年飼っていたペットが死んだ時も悲しくもなかった。私の死に対する涙は青春時代に涸れてしまったと思っている。



 何はともあれビーシュリンプの繁殖挑戦である。上記したようにミナミヌマエビ系の繁殖は何もしないことが最善である。しかし、あえてそれに逆らい、それまで住んでいた主水槽から小水槽に引っ越しした。もちろん、水は主水槽から移動した。いくら何でもそれくらいはする。何より、ミナミヌマエビ系は環境の変化に弱い。住み家を移動したことで生命の第一関門である。見事突破。小水槽になったので観察が容易となった。これまでヤマトヌマエビではともかく飢え死にしないように餌をこまめに、そしてその結果水質の悪化を避けるためにこまめな灌水が第一条件だったが、なるべくいじらないようになるべく灌水を避け、餌は水質の悪化を防ぐためになるべくやらない。餌をやらない代わりに濾過装置に工夫し、濾過材を足し、濾過装置の水流を抑えるために出水口に濾過マットを取り付けた。これで濾過効果は高くなり、バクテリアが増えてエビの餌になる・・・はずである。分からんけど(^^;)
 1日2日は落ち着きなく泳ぎ回って心配したがそのうち安定してきた。イエローチェリーシュリンプ(面倒なので以下黃・赤)は体が半透明なので卵が透けて見える。黃が後ろ足で水流を送るとゆらゆら揺れるので「体内にきちんと収まっているのでなく体外に排出されていてそれを体の外部(足?外皮?)で支えているだけ」なのがわかる。ともかくそこに卵がある程度あるのが確認出来て安心。それに比べ、赤の方は外皮が固く不透明なので確認しにくい。ひょっとしたら卵なんか抱えていないのではないか?と心配になる。あくまでこれまでの経験上、これは抱卵しているな、と勘をたよりにしているに過ぎない。

 さて、これからなんとするか?あくまで「何もしない」のだが、とりあえず主水槽の水にPSB、バクテリア剤、「微生物の素」を餌代わりに小水槽用の外付け濾過装置の取水口に吸い込み防止のスポンジを巻き、エアレーションを効かせ、床にソイルを薄く敷いた。他にやることあるか?後は見守るだけじゃないかと思うが・・・。何日かしたら少し水替えをしよう。余計なことかな?

 

 

 

 

 

 最初の産仔からほぼ10日。残っているゾエア2匹。あまり元気がない。暗くして光を当ててもあまり反応しないので数を数えるのに苦労した・・・2匹なんだけど。とりあえずはこの2匹だけでも2週間の壁への挑戦。そのために水槽クーラーを買ってきた。今更、っていう雰囲気もあるが気は心である。この2匹を最後まで成長させられたら万々歳、って夢です。

 

 いつもそうだけど、私が「季節物」を買う時はいつもシーズン終了時。ストーブを3月に買ったり扇風機を9月に買ったり。その割にバーゲンじゃない。

 カラマーゾフ読書に関しては私は過去、ブログで取り上げているので、興味のある方は(いるか?)過去ログを掘り起こして貰いたい。


 私は強烈に「カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー)」こそ世界文学史上最高の作品、と思い、主張していてみんなに煙たがられている。どんなに人から変わり者扱いされても頑固者扱いされても嫌われても迷惑がられていてもその主張は変わらない。そして、これは全国に分散するドストエフスキーマニアにとって同じことだ。今、私はカラマーゾフの六回目の挑戦を始めている。思えば最初にカラマーゾフを手に取ったのが19歳、大学生として心身ともにエネルギーを満たせた時だった。高校1年の一学期、16歳になった頃「罪と罰」を読んでそれこそそれまでの読書人生がひっくり返る経験をし、ドストエフスキーの作品を片っ端から読破してはいたがカラマーゾフだけは最後にしようと思っていた。いわば私にとってドストエフスキーのラスボス。いや、文学界のラスボス。それから意識してはいなかったがほぼ10年に一回、20代、30代、40代に一回ずつ読了。21世紀に入ってから亀山郁夫氏が光文社の古典新訳文庫シリーズで「新カラマーゾフ」と翻訳してベストセラーになったのを期に50代にこの新訳を読んでの六回目となるのだ。私にとってもはや巡礼とも言うべき行事となってしまった。果たして十年後、七回目の挑戦が出来るか分からないし、今から予告できない。もはやこの煙ってしまった脳みそにこの作品が背負いきれるのか自信はない。今回は本当に巡礼のつもりで苦しくともやり遂げたい。

 サマセット・モームも書いている。「読書は楽しんでやるのが本筋である。苦しんでやる読書は読書ではない。しかし、カラマーゾフを読者に薦めるのに楽しんで読めるか、と思うと疑問に思う。カラマーゾフにある神と悪魔の争い、荒々しい人間の心、そのような内容を果たして読者は楽しく読めるだろうか?だが、カラマーゾフ読書におけるそのような葛藤はたとえ楽しくなくても読めば必ず読んだ人の人生に何かを加えることが出来る、そのような偉大な作品だ(意訳)」

 今回、私は4回読破した岩波文庫版米川正夫訳(初版・1927年 改版・昭和1957年)を読むのを諦め、光文社古典新訳文庫版亀山郁夫訳(初版2006年)にした。米川版は何回も読んだし、格調高い文語調の言い回しがあって愛着はあるのだがさすがに改版から数えても50年の時代の距離は大きい。日本語が違うのだ。第一、文字のフォントが違っていて光文社の方が圧倒的に読みやすい。もっと大きな文字で全10巻くらいになるカラマーゾフ新々訳が10年以内に出たら七回目の挑戦をするかも知れない。

 前置きが長すぎたが、とりあえず第一巻目を今日、読了。全五巻である。本当に正直なところ、読み始めてから何ヶ月かかったか。途中でしおりが落ちてしまってどこの場所を今読んでいたのか分からないこともあった。ただここ数日、精神が落ち着いてこの巻の約100ページほどを一気に読み切ったので一区切り入れる。
 一巻丸々ほとんど登場人物の人物紹介といえる内容でまぁ、大抵の人はここで脱落するんじゃないかと思う。カラマーゾフ家の三人三様の兄弟(ドミートリー、イワン、アレクセイ)、彼らの血の源泉である父フョードル、庶子(ではないかと噂される)スメルジャコフ、主人公アレクセイ(アリョーシャ)の、そして町全体の精神的主柱たるゾシマ長老、ドミートリーを巡る妖艶なグルーシェニカと高貴なカチェリーナ、足が不自由だが裕福な家庭の少女リーズ。それらの人物がふつふつと息づいていて、時としてぶつかり合っている。

 次の巻からカラマーゾフの中でも別次元の「少年たちの物語」が始まる。実は、このストーリーが誰にも注目されないけど(そんな事はないが)私は一番好きなところ。惨めなそして誇り高きスネギリョフ親子と早熟で天才で人の心を弄ぶのが好きなコーリャ(私は彼が書かれなかったカラマーゾフ後編の重要人物と思っている)の関係は一種の謎でもあり、不安定な少年期のパラドックスとも言えるものなので、今回ひもときたい。そして最大の哲学的箇所である「大審問官」もある。私は中年になる頃まで「大審問官」が分からなかった。多くの人がそう言う。しかし、現在の世界情勢、ヨーロッパやアジアで巻き起こっている事実の心底に「大審問官」を当てはめることによって目の前の扉が開き、そしてその扉の向こうに迷宮が渦巻いているのを感じた時、つまり、150年前のロシアの文学作品が現代21世紀の地球上の苦悩を表現していると思った時、私は「6回目の挑戦」を決心したと断言する。

 8月19日の桐生市議会報告会・意見交換会(川内)に出席しました。主な目的は桐生市議会と市民(主に川内町民)の意見交換会でしたがいくつか問題点があったと思います。
 まず、市議会議長の告げる通り、6月の定例議会報告会は書面のみで大部分の時間を参加した市民(主に川内町民)の要望を市議会議員の大部分(一人欠席)が直接受けることにより議会と市民とのつながりを深めよう、ということのようでしたが、趣旨にあわないと思うのは時間が開会してから議長挨拶・市議会議員自己紹介を含めて1時間10分しか儲けていないということです。一応、タイムキーパーがいて、質問も回答も5分のみ、という制限がありましたが、タイムキーパーがその役割を果たせず、司会者もコントロールできず、一体何人の意見を聞き、回答されるか?というのは満足させることが出来ないのが分かっていたはず。分かっていながら1時間10分の制限のみ厳格に守るのか意味が分かりません。
 次に市民の要望もいわゆる「市議会への要望」ではなく、「あそこの道の整備をしてくれ」とか「空き家問題をなんとかしてくれ」とか行政(市長・市役所)への要望であったのに、行政側の川内担当、という人がいるはずなのにどういう理由か分からないけど欠席し、代わりの人も来ないのをなんとなく素通りしていると言うことです。「次回の意見交換会では絶対に行政の担当者を同席させます」という意気込みも意思も感じられません。
 以上のことから今回の意見交換会は単に市議会議員が「自分たちは市民と積極的に意見交換会をやってますよ」というアリバイ作りとしか思えませんでした。本気で意見を一つでも多く、一人でも多くからくみ取ろうと思ったら時間無制限、公民館の都合があるなら可能な場所でやるべきだし、「たとえ夜を徹しても」という意気込みと熱意を感じさせてくれる市議会議員が一人もいないのか、とがっかりします。仮に時間制限があるなら「意見がある人は当日、紙にそれを書いて提出して欲しい。後に市議会議員の誰かが責任を持ってネットの市議会ホームページを通じて(個人との電話などのやりとりは卑怯だと思うから止めて欲しい)あるいはyoutubeなどで公開で回答します。」と言えないのでしょうか?
 私はそういう「熱」のある市議会を期待します。