50年前の今日、小学校の社会科見学でした。

日頃、通学路の酒類の自動販売機の釣銭口に時折100円硬貨があり、その日は交番に届けると如何なる扱いかと好奇心にて赴きますと書類等の手続きに時間を要し、警官に事情を話して学校に連絡を依頼、最後に教室に入りました。

バスにて出発、新宿西口には前年開業の京王プラザホテルがあるのみ、淀橋浄水場の擁壁の一部が残存しており、その高さから貯水量を実感しましたが、気が付いたのは私のみでした。

羽田空港は現在とは異なる位置にあり、1966年、1969年、1971年に訪れており特に目新しさはありませんでした。記念写真の背後には当時最新のボーイング747(パンアメリカン航空)があり、日本航空も全日空も塗装が刷新され、子供の頃の図鑑の塗装とは別物で新しく感じたものです。

移動で銀座を抜けますと東京劇場が解体中で、見事な壁面に感心し何とも残念に感じました。また、界隈の映画館の看板がポルノ映画で、目敏い級友が発見して「見たか!」と一寸した騒ぎになりました。

浅草を通りますと前月に廃止された都電24系統の線路が残存しており、何とも物悲しく感じられました。

昼食は北の丸公園で持参の弁当を食べ、前日に鰻の出前でしたので鰻の弁当と洒落込みましたが、都会の小学生には珍しくない様で目立たずに済みました。

帰路に休憩が無く、緊急の小用で停車し該当者は下車して往来で済ませましたが、私も加わりますと発車後に罰として歌を歌う指示が出され、言を左右にして逃げ切りました。

直後の授業で記した見学記が現存していますので、半世紀前でも鮮明に思い出せます。

10歳の私。

 

4年2組の面々

 

音楽史研究家 郡 修彦