2014年6月1日
訪れる度に不愉快な思いをする店は稀であると思います。 
品川区の山手線から数分の某私鉄某駅の大商店街を少々行き、左折した先に二軒のとんかつ店があります。
その手前の店はネット検索では最大級の賛辞が惜しみなく贈られる程の店です 。曰く「異次元」「革命的」「この世のものとは思えない」「驚異的」等枚挙に暇がありません。
それ程の絶賛が送られる店ならと食通の友人と夕食に訪れました。カウンターのみの8人掛けの席は満席でしたが、主人は「満席です」と言うのみで、「少々御待ち頂けますか」とも「外で御待ち下さい」 とも言わず実に無愛想でした。何と尊大で傲慢な店かと友人と憤慨して去り、もう一軒の店へ赴きますと大衆的で接客も愛想良く、美味な夕食を楽しめました。
さて、不愛想の某店をネットで見ますと激賞ばかりで、一度は食さなくてはと友人と図り再度昼食に訪れました。12時前で早くも行列、並び始めてから食事が終わるまで70分との長さ。昼定食1000円は妥当では有りますが、待ち時間を 考慮すれば安いとは言えません。店内に入りますに主人と女給仕の要領の悪さには呆れる程でした。接客業や飲食店で修業をした事が皆無なのは直ちに判り、一日足りとも勤まらない程と言うか、否採用すら不可能な水準で、文化祭や学園祭の模擬店の方が遙かにましと感じられました。店内には弁明の告知が掲示されていますが、美味で有名なら遅くても当然との客を見下した尊大な態度が露見している不愉快な表記です。肝心の味ですが、友人との共通した感想は「家庭で作りえる水準」「他にも美味な店は沢山ある」「有名になり舞い上がってるのでは」「激賞に値する程の美味に非ず」「不愉快な接客と待ち時間にて逆効果」で、趣味の延長上で開店した素人の店との評価になりました。原住民の暖かい支援とネットの激賞にて継続している店で、関西や外国では絶対に継続が不可能な店です。ネットにて丹念に調べますと、この店を酷評し「絶賛とは喜劇である」と記している方が居り、わかる方にはわかると安心致しました。
そして本日、又しても不愉快な思いをしました。昼食に赴くと珍しく店の前に行列は無く、これはと戸を開けますと向こうに並ぶ様にと指示されました 。見れば店から離れた反対側の本日定休日の店の前に並ばせているではありませんか。多分両隣の店から行列の苦情が来て反対側に行列を作らせたと思いますが、店の前にも行列の場所にも何の表示も無く、一見の客には全くわかりません。これも常連の原住民の間だけでの暗黙の了解かと思うと実に不快でした。客に対する誠意が全く感じられない尊大かつ横柄な不親切極る店であり、名声で舞い上がっているのです。夕方に再度通りますと今度は「予約にて満席」とあり、店のホームページには予約無しと書きながら矛盾しております。
如何に有名で美味でも不愉快な思いをして食事をする事は精神的な屈辱であり奴隷と同じです。人間としての尊厳と誇りが有るなら 斯かる店での食事は精神衛生上断固拒否するべきでしょう。原住民の精神的な寛容さに驚くと同時に、そこまでして「もち豚」を食したいのかと複雑な一日でした。
戦後、日本は豊かになったと言われていますが、食生活の面ではまだまだの様です。家庭料理と大差ないとんかつを絶賛する人間は如何なる食生活をしているのでしょうか。東京でしか通用しない尊大且つ傲慢な、接客業の風上にも置けない店を絶賛する人間の精神的な構造とは如何なるものなのでしょうか。接客の良し悪しを判断出来る確かな見識と、本物の美味を識別し得る人間は極めて少ないのです。

音楽史研究家 郡修彦