8月15日の終戦記念日に靖国神社へ軍服姿で参拝する那須戦争博物館の栗林館長は有名な存在でしたが、一昨年の参拝を最後として入院され本年3月に亡くなられたと知りました。九段会館のホールを借りての軍歌・愛国歌の演奏会を年2回開催しており、1990年代の半ばから数回赴きましたし、私設の戦争博物館には2回御伺い致しました。
映画用の様々な複製品と本物とで構成された玉石混交の感がありましたが、貴重な本物も多く感心したものです。その中で屋外に展示されている軍用機は説明には「95式陸軍戦闘機」(一時期は98式一型練習機)とありますが、正しくは1934年から製造された米国製複葉機「ボーイング・ステアマン・モデル75 ケイデット(kaydet)」です。95式戦闘機は一人用の単座ですが、展示の飛行機は二人用の複座であり、初めて見た時に少年時代にプラモデルで製作した同機に間違いないと確信しました。私の小学生時代には72分の1の軍用機のプラモデルの全盛時代であり、特にレベル社の製品が種類が多く精密で知られていました。当時100円(葉書7円の封書15円の時代です)でしたので、毎週1機以上の割合で製作し、箱絵や模型を見つつ画を描いたものでした。ですので、戦争博物館で見た時に直ちに正体が分かったのです。
戦争博物館の機体は1941年製造、乳酸菌飲料の「ピロビタン」のCM用に購入・使用されたもので、1971年12月7日にJA3641としてピロビタンの所有にて登録され同社の宣伝素材として活躍、1976年のNHK連続テレビ小説「雲のじゅうたん」にも使用されております。元々はエンジンが剥き出しですが、購入時には覆い(カヴァー)のカウリングが付けられ、プロペラの先端にもスピンナーが追加された状態の飛行可能機体でした。その後に戦争博物館の所有となり、老朽化により複葉の上部が取られ単葉機となりましたが、操縦席の風防と計器盤・垂直尾翼・脚部分は正しく「ケイデット」であり、同館にて様々な名称にて展示されたのは合点の行かない事です。
さて、少年時代に制作した「ケイデット」のプラモデルですが、塗料(レベルカラー)にて指示通りに筆塗りをして、我ながら見事な出来と感心し遊びに出かけ夕方に帰宅しますと見当たりませんでした。何処に置いたのかと家中探し回りましたが、箱はあれども模型は見当たらず途方に暮れていました処、父親が飛行機の模型かと問いますので然りと返しますに、翼と脚が折れた残骸を見せられました。完成後に畳に放置したまま遊びに出、その間に帰宅した父が一休みに横になり押し潰したのが真相でした。机の上に置かず畳の上に置いた私も迂闊でしたし、確かめずに横になった父親も迂闊でしたが、結局は代金を頂戴して翌日に別の軍用機のプラモデルを購入したのでした。

音楽史研究家 郡修彦

昨今購入した日本発売当時の初版品です。私が購入した1972年の再版品では、絵の左右と下の白縁が無い意匠でした。

中身です。写真右上端の円形のスタンドベース(展示用の台座)は再版から省略されましたが、組み立て説明書には残っており、部品が足りないと思われていました。この辺りの不統一は杜撰でした。

このケイデットのプラモデルをピロビタン号に改造する特集を組んだ月刊誌
「モデルアート」の表紙です。こちらも昨今入手しました。

色刷りのカラー頁のピロビタン号です。こちらを再改造すると戦争博物館の現状になりますが、挑戦者はいない模様です。

改造の手引きは10頁に亙り丁寧に解説されています。二人乗りの複座飛行機ですので計器盤は2種類あります。写真の右側が操縦席の計器盤で、戦争博物館の現状写真と比較すると経年変化が分かります。