2018年6月19日

本日は作家の太宰治が玉川上水に入水自殺を図り発見されてから70年になります。玉川上水は江戸への水路として1653年に作られ、新宿の淀橋浄水場が廃止される1965年まで重要な存在でした。太宰が入水した付近は1965年以降は通水が少なく、現在もさしたる変化は有りませんので、現状を見て太宰の入水を訝る方が散見されますが、実は1948年当時は水量が多く流れも速かったのです。
映画やTVドラマで太宰の入水場面を何種類か見ましたが、再現は現在の映像技術でも困難と思われ、相手と手を取りながら池(沼)へ進む場面や、玉川上水の土手で語る場面等がありました。夜に急流の水路に入水したのが真実で、6月19日の発見時は上流にて水量を減らしての捜索ですので、当日の写真の玉川上水は日頃の水量ではありません。
1919年には遠足の小学生が玉川上水に転落し、救助に赴いた訓導(当時の小学校教師の名称)が急流にて殉職しております。来年で百年を迎える出来事は松本訓導殉職の碑により脈々と後世に伝えられ、玉川上水が急流であった事実の証でもあります。

音楽史研究家 郡修彦