2014年1月17日

大東亜戦争終結後もルバング島に30年とどまり、命令により武装解除・帰国した小野田翁が 亡くなられました。
1972年の横井氏の帰国に続き、ルバング島での銃撃戦による報道は当時小学4年の小生の記憶に鮮明に残りました。捜索の失敗、冒険家の青年による接触、上官による停戦命令の経緯は説明し尽くされていますので、個人的な話を致します。
小野田氏が帰国した日、当時小学5年生の小生は翌日開催される6年生の送別会の準備として、一旦帰宅後に再び小学校に赴き級友と教室の飾付けをしていました。すると、そこへ隣の組の担任(20代の女性教師)が来て、小野田氏の帰国会見を見て落涙したと感無量で語られました。作業を終えて帰宅して話しますと、母も同じ番組を見て落涙したと弟から聞きました。気丈で涙一つ見せた事の無い母がと半信半疑でしたが、若手の女性教師も然りでしたので会見を見逃した事を大変に残念に思いました。
それから、10年程の後にTVにて見る機会を得た青年の小生は矢張り落涙致し、本日も訃報にて会見の映像をネットにて見る事を得て 、40年前の事ながら落涙致しました。日本人の美意識・決意・使命感を見事に象徴した、大和島根の連綿とした悠久の歴史の中で千古不滅の出来事として、今後も久遠に語り継がれ、語り継ぐべき事との感を新たに致しました。

音楽史研究家  郡修彦