蒸気機関車の最終時期の1974年(昭和49年)に任天堂から発売された「ペーパーモデル」に中にD51型蒸気機関車がありました。当時、殆どの文房具店で取り扱いが有り、目にしたり購入した方も少なくないと思われます。ネットで調べますと結構該当しますので、現在でも多少は知名度が有る様です。
このD51は蒸気機関車の事を全く知らない担当者が製作したと思われ、比率も形態も荒唐無稽です。小学校6年時に文具店で見て余りの杜撰さに呆れたもので、若しも形式を隠して鉄道愛好家に見せたらD51と言う方は皆無です。少し専門的になりますが、車輪の数が実物と異なり、燃料の石炭と水を積む炭水車が小型過ぎるのです。発売当時は小遣いの都合上から購入を見合わせましたが、1992年1月に南武線矢野口駅南口の旧鶴川街道の文具店にて発売以来18年を経て購入しました。現在は矢野口駅は高架線になり鶴川街道は拡張移設され、該当場所は町の一角に埋もれました。
蒸気機関車のペーパーモデルは雑誌の付録として戦前の「少年倶楽部」時代からあり、SLブームの時期には小学館の学年別学習雑誌に頻繁にありました。小学館のは比率や形態が正しく子供心に感心したもので、当時は縁日にて旧月号の付録のみを廉価販売しており時折購入しました。それからしますと任天堂のは御粗末であり、「この様な品を企画・製作・販売する会社は一流ではあるまい」と勝手に想像しましたが、現在の隆盛からしますと隔世の感があります。トミーのプラレールも実物を踏まえていないとの指摘に応え、比率や形態を見直した結果が今日の隆昌に結び付いた話は有名です。

私は子供の頃から蒸気機関車が好きで、1967年12月に幼稚園の発表会にて、父親が画用紙にて製作したD51(車輪の一部を省略してあります)を手に、構造の説明をする写真が残っております。

 

発売当時の形態です。

 


完成予想図、現在では「写真はイメージです」との珍妙な断り書きがありますが、発売当時の世相では不要でした。

 


1967年12月に同年春に完成した遠藤楽先生設計の新校舎での自由学園幼児生活団のクリスマス催事にて、蒸気機関車の構造説明をする5歳の私。数日前から発表の練習をしましたが、台本を暗記するのではなく、説明の順番と話術に気を配りました。当時はカラー写真は高価であり、白黒写真が中心でした。撮影は同期生の父親で朝日新聞社写真部の方です。

音楽史研究家 郡修彦