2017年12月19日

大東亜戦争中の海軍軍人として捷一号作戦にてレイテ島に突入するべく艦隊を率い、直前にて謎の反転を遂げた司令官の栗田中将が亡くなられて40年が経ちました。1971年4月からTV放送された「アニメンタリー決断」と、同時期に発売が開始されたプラスティックモデルの「ウオーターラインシリーズ」にて戦史と兵器に興味を抱いた小生は、小学校の図書室や書店にて戦記物を探しては目を通し、中学生時には角川文庫に収録された伊藤正徳の「連合艦隊の最後」を熟読しました。その時期に新聞にて栗田中将の訃報を目にし、記事を切り取り現在でも保存しております。インターネット全盛の今日とは情報の質も量も差がある当時では、栗田長官の存命を知る事は中学生には難しい事でした。
謎の反転に就き、終戦後の早い時期に米国の写真家が取材した件は余り知られておりません。「フォーチュン」誌の取材で、写真家のカール・マイダンス氏(1907年5月20日~2004年8月16日)が病床の栗田氏を訪れ当時の状況を説明し、制空権を失い情報収集が断片的な状況下での判断にて反転し悔やまれるとの証言を得ております。この証言は早い時期のものですので、信憑性があり再検討の必要がありましょう。なお、マイダンス氏は日本光学の「ニコン」カメラと「ニッコール」レンズの優秀性を世界に広めた人物の一人です。
栗田中将の訃報から一週間も経たない25日にチャップリンの訃報が世界中に伝えられ、後に二人が同年同月に生まれ、同年同月に亡くなられた事を知りました。

チャップリン 1889年4月16日~1977年12月25日
栗田健男   1889年4月28日~1977年12月19日

また、チャップリンとヒトラーが4日違いの生まれは有名な事です。

ヒトラー   1889年4月20日~1945年4月30日

更に見てゆきますと、この月に生まれた世界的な有名人がまだまだおります。

エフレム・ジンバリスト      1889年4月9日~1985年2月22日(ヴァイオリニスト)
アーノルド・ジョセフ・トインビー 1889年4月14日~1975年10月22日(歴史学者)
ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタイン1889年4月26日~1951年4月29日(哲学者)

6人中の最長寿がエフレム・ジンバリストで満95歳、子息のエフレム・ジンバリスト・ジュニアは俳優でTVを中心に活躍し、映画では「エアポート75」の機長役が有名で、2014年5月2日に満95歳で亡くなられた親子共に長寿の家系です。
  
音楽史研究家 郡修彦