本日は1968年12月10日に東京府中にて現金輸送車から3億円弱が強奪されて50年に当たります。この事件は迷宮入りした大事件として普く知られておりますが、近隣で起きた事件として子供心にも深く刻まれた出来事でした。当時私は6歳、当日は雨で寒かった事を良く覚えております。当時当家のTVは故障中で、昼前位に母が近所から三億円事件の話を聞き、余りの金額に驚きました。夕刊には大々的に報道され、電車(西武多摩湖線)で一駅の国分寺の銀行の現金輸送車との事で近隣では暫く話題でした。
それから、程なく犯人のモンタージュ写真と遺留品を掲載した印刷物が各家庭に配布され、「犯人逮捕の日まで、捨てずにご保存ください」との但し書きが印象に残り、我が家では四つ折りにして祖母の抽斗に収め、時効までは保存しておりました。また、500円札の一部が新券であり番号が発表された為に、500円札を見る度に番号を確認した思い出が有ります。このB号500円札は1969年11月1日からC号に変更されて急速に姿を消し、最終的には1971年1月4日に日本銀行からの払い出しが終了しました。
小平市は犯行現場から近隣の為に我が家にも刑事が捜査に来て、周囲でオートバイに乗る青年の状況を聞いて行ったと後に母から聞きました。私の在宅中では無かったのは残念でした。小学校入学後も暫くは三億円事件は話題に上りましたが、激動の時代でしたので何時しか新規の話題に取って代わられました。
時効の1975年には一時的に再燃し、「週刊朝日」で組まれた特集が大変に面白かったのが印象に残っています。また、東映が清水一行の原作を映画化した「実録三億円事件時効成立」は事件後7年でしたので、街並みから車両まで巧みに事件当日を再現しており、現在では一変した国分寺の北口の貴重な記録が残されております。
「文芸春秋」の1980年8月号ではモンタージュ写真が、実は事件前年に事故死した実在の人物の写真の流用であった事を初めて明かして大きな話題になり、当時高校3年生の私は発売当日に書店にて読破(金銭的な余裕から購入出来ず)して事を鮮明に覚えております。
随時、この事件は取り上げられ、2000年にはビートたけし主演のテレビドラマが放送され、車両や街並みの再現が難しい事を痛感しました。部分的にしても事実の再現は時間が経過すると難易度が増して行くもので、その後の三億円関係の映画・ドラマも同様でした。
犯人は当時20歳ならば現在70歳、30歳なら80歳です。確実に地上に存在した人物による犯行ですが、犯人像が皆目見当が付かない点は実に不思議です。私は長い間学生運動の一団が資金調達の為に複数犯で行い、終了後に頭目が手下を内ゲバや毒殺で葬り、一人勝ち逃げをしたと勝手に想像しておりました。2008年12月7日発行の「別冊宝島」1574号に作家の安部譲二氏が書かれた顛末が、荒唐無稽ながら一番真実に近い様に思われます。奇想天外な事件は常識の範囲では解決しないのかも知れません。
なお、事件当日は荻野目洋子の誕生日でもあります。

音楽史研究家 郡修彦