織田信長といえば、戦国最強の英雄であり、天下統一目前まで導いた偉大な人物。楽市楽座、関所撤廃、兵農分離、身分に捉われない人材登用・・・こうした革新的な政策を推し進めた大政治家でもありますが、何より最大の偉業は武装宗教勢力を駆逐したことです。



織田信長の時代に限らず、昔から日本では宗教勢力が大きな権力をもっており、政治に介入していました。代表的な勢力が比叡山延暦寺ですが、彼らは「強訴」と示威行為で朝廷に対して自分たちの要求・権利を認めさせていました。



比叡山延暦寺が行う強訴とは、日吉大社の神輿を担いで都に押しかけることです。神

仏の霊威と僧兵の武力によって、朝廷に要求を認めさせていたのです。比叡山延暦寺

は巨大な荘園を所有し、琵琶湖の水運を支配し、関所を設置して儲けており、その経済力は侮れないものがありました。



鎌倉時代から室町時代にかけては、臨済宗や京都五山、日蓮宗そして本願寺が巨大な

宗教勢力として君臨するようになります。これらの宗教勢力は広大な荘園、設置した関所、門前町からの収入だけでなく、金融や貿易でも儲けていました。



比叡山延暦寺や本願寺はただの宗教勢力ではなく、巨大な経済マフィアとも言える存在だったのです。彼らは豊富な資金力によって、武装していました。僧兵軍団を養い、鉄砲を大量に保有していました。



比叡山延暦寺や本願寺は武装した経済マフィアいや、独立王国=武装宗教勢力ともいえる存在でした。当然、戦国大名にとって大きな脅威であり、天下統一の最大の障壁でもありました。



多くの戦国大名は比叡山延暦寺や本願寺という武装宗教勢力との戦いを回避しましたが、ただ一人、武装宗教勢力との戦いに死力を尽くした大名がいました。言うまでもなく織田信長です。



天下統一とは政治権力=統治機構を一本化することです。それによってはじめて戦がなくなり、治安が保たれるわけです。平和な世を実現する絶対的条件であるわけですが、独立国のような武装宗教勢力が各地に存在する限り、それは到底不可能でした。



武装宗教勢力が保有する巨大な経済利権を彼らから奪わない限り、治安維持やインフラ整備のような統治に必要な税源を確保できません。また、武装宗教勢力が存在する限り、警察力が限定され、そこに犯罪者が逃げ込めば、逮捕が困難になります。



比叡山焼き討ちは信長に敵対する浅井・朝倉勢を比叡山が匿ったことが発端であることは確かですが、その裏には経済マフィアである比叡山延暦寺の利権を解体する狙いがあったのです。



石山本願寺との戦いも大坂という経済の要衝を押さえる本願寺を駆逐すると同時に彼らが握る巨大経済利権を剥奪する狙いがありました。本願寺との戦いは10年にも及び、如何に彼らが強大な敵だったかが分かります。武田・上杉より遥かに強大な存在だったのです。



江戸時代以降そして現代の寺院は僧侶がお経を唱える比較的静かな存在であり、武装とは程遠い存在です。それは織田信長が巨大武装勢力を駆逐したおかげなのです。織田信長は江戸時代の平和の礎を築いた偉大な人物なのです。



織田信長が行った武装宗教勢力の駆逐は宗教勢力が政治介入できなくする政教分離政策であったのです。この政教分離は現在にも通じる大革命であり、我々はこの恩恵を十分すぎるくらい受けています。



織田信長というと残虐な独裁者として語られることが多いですが、武装宗教勢力の駆逐、政教分離こそが織田信長の最大の偉業なのです。

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