どの程度の現実性をもつかは別として、仮に避難計画があったとして。
突発的な、住み慣れた地を即離れろとの声に、さて何をどうすればいいか……。

家族に降り掛かったあまりの大きな出来事に、言葉もなく右往左往し、ただクルマを走らせるも、さてどこへ?

とりあえずと逃げ出そうにも、すでに放射性汚染物質は放射線を放ち、家にいようが車中だろうが襲いかかる。逃げようもない”これ”が放射能の怖さ。後々まで生命体を蝕ばむ。

いったいどれだけ浴びているのか、自分たちにとってどれほど危険か。
混乱混雑のなか、どこまで離れれば良いのかなど、知りようも測るすべもなく。
闇雲に放浪を繰り返す日々。

避難受け入れ地など知っても、向かう地への経路を確保できる保証は無い。
燃料も奪い合い。空腹だとてナンバープレートから「あちらからの客お断り」。

受け入れ先の了解があり、着けばせいぜいが体育館など。
複数家族、多人数は雑魚寝。ダンボールの仕切りがあれば良いほう。

食はあっても、日々三食おにぎりや弁当ペットボトル冷茶。
もちろんトイレや風呂シャワーほか、プライベート確保などままならず。
それらさうえも、はて何日続くか。泣いてみたとて贅沢はいえず。

受け入れ側とて、場所や人手の配慮には限度もあろうし、忍耐も限りあり。

自宅へは、基本的に戻れない。最悪は二度と戻れないと言い交わしはじめる。
良くても仮設の狭い小部屋で、数年か最悪は帰るなどままならない。

日が経つにしたがい、衣・食・住・職・学、そして金銭と、先行き細き不安が増すばかり。

もんもんと、見知らぬ土地で籠り生活。
その生活も立て直しほぼ不可能。
家族離散の別居で家族不和もあり、それぞれの精神的ダメージから衝突。

そうして過ぎれば、体は鈍り心は萎える。
運動不足にやけ喰いヤケ酒、当然の生活習慣病。
旧知友人とも離れ離れのまま、行方知れずの音信不通。
風の便りで、老い人が孤独死と。

大本の第一原発は、技術立国の声高き総力をもってしても、抑えられず防げず連続爆発。
あれよあれよと言う間に無力感が国中に漂った。

とはいえ、あれでも不幸中の、幸い。
原子炉そのものの爆発は免れたのだから。

それはしかし、技術的対応の結果などではなく。まったくの幸運という背筋に冷や汗もの。
下手すれば、狭いこの島国の少なくとも半分は、住めない避難地域として。
ある程度の海外避難もあたろうという。いわゆる難民に。でもどこへ……。
戦さえ山野までは奪うまいに、国を失う脱炭素社会とは。

さて今度起きたら、どの程度で済むものか……。

政府はもちろん、IEAEも原子力規制委員も、起きてしまった放射能汚染物質の拡散地域を、もとに戻すことはできない。
美しきふるさとの再生は不可能と知った。
多くの国民生活を奪っても、「誰も責任などとれす、戻せない」と、学んだ。

だのに政府は、「帰環を許し」、「帰環指示を下す」、と上から。
裏付けもない根拠は明言しえず、線量など公表もできず。

その怪しさ不気味さに、帰還者は少ない。

各地の放射性物質飛散による除染物質の大袋、その連なる山積を県外処分と約束されて、未だ行く先不確定。
ここでさらに、海水汚染を理解せよなどと、説得する政府。大臣らが鬼顔にも見えて。
悲嘆に暮れる民をさらに苦しめる政権は、この先も原発事業に頼る国の柁を握ると真顔。

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