僕が書道を始めたのは保育園の時でした。黄色い帽子を被り黒い習字道具の鞄を自転車のカゴに入れフラフラしながら毎週書道教室へ。昔は黄色いそろばん塾の鞄と、書道の黒い鞄をセットで持ってるのが当たり前の様な時代でした!

小3の時に少年野球を始め、習い事は習字にそろばん・空手・野球・水泳と1週間では足らないくらい色んなジャンルを。今思えば貴重な時間を過ごさせてもらい親に感謝です。
小6の頃には170cm近くになり、本格的に野球を。中学は地元のボーイズリーグ《藤井寺ボーイズに入りました。書道は高校野球が終わる3年夏まで授業くらいしか筆を持たなくなりました!

電車に乗る時、毎回駅員に止められる大きい小学生でしたが、中学生でピタッと身長が止まり…(笑)
大阪の柏原高校(現・東大阪大柏原)に野球推薦で入学させて頂きましたが、ピタッと止まった身長と同じく、野球の才能もほどほどに止まりました(笑)
2年の夏の大阪大会でベスト8入ったんですが、先発させてもらい突然の三者連続ファーボール…左中間にヒットを打たれ走者一掃。大事な試合で野球部は勿論、地元にも帰りたくないくらい大失態を(;_;)この試合を機にでは無いですが、自分の中である程度のレベルが分かる様になり、あと1年頑張ったら野球と区切りをつけよう!と。

3年計画で1年の夏から10人弱メンバーに入り、3年夏まで5大会ともベンチに入れてもらいました。最後の夏、1回戦は優勝候補の北陽でした。当時一つ下の学年でのちに阪神タイガースに入団する嘉勢投手が注目を浴びていました。終盤まで2点差をつけられて。
試合前日、監督に呼ばれ明日の試合ブルペンで待機しといて欲しいと言われてました。
接戦になるからここ一番でと言われ、背番号8を付けてた僕は《えーーっ!マジっすか⁉︎》って思わず。
7回を終わって1-3。あれ?ひょっとして出番無いのか?と不安になっていると連打連打で一気に4-3と逆転。ランナー3塁に残った状態で、代打として出ました!
バッターボックスに入ると、ベンチから大声が。当時の柏原高校はバンドという作戦は無いチームだったのでサインも見ずに入ったら…
まさかの見た事が無いサインを。スクイズでした(笑)北陽がタイムを取っていたので、警戒されてますよと監督と笑いながら目で合図送りましたが変わる事無く。

プレイがかかり初球。

カーブでした。
あまりにもした事が無いスクイズに緊張し過ぎて気がついたら1塁駆け抜けて。
必死過ぎてどこに転がしたかあまり覚えてないですが、1塁駆け抜けた瞬間歓声が上がっていたので、成功を実感しホッとしながらベンチへ。
そこからも止まる事無く一挙6点を奪って勝利。このまま勢いに乗ってと思われましたが、4回戦・2回目の抽選でまさかの優勝候補《近大附属》。。。。。。
なんてクジ運の無い事でしょう( ̄▽ ̄)
これまた学年一つ下の150キロ右腕・金城投手(現・読売巨人軍)と藤井捕手(現・阪神タイガース)が控えでバッテリー。

開き直ったチームは初回3点を奪い、うわっ!イケるかも❗️と思った矢先に逆転され、黄金バッテリー登場。。。僕と同じくらいの身長なのに、150キロ近い速球を武器に全身バネの様なピッチングに驚愕しました。
最終回ツーアウト。僕に打席が回って来ました。
相変わらず速い球に圧倒されてましたが、追い込まれてからの最後のボール。

カーブでした。

真っ直ぐを待っていて振り遅れていたところにカーブ。タイミングが合った打球は、金城選手の横を抜けセンターへ。不思議とスローモーションで抜けて行くボールを見ながら、野球生活最後をヒットで。野球を始めて約10年程ですが、夏休みも無く頑張れた最後のご褒美となりました。



つづく