「セクシー田中さん」問題が一向に収まりません。小学館や脚本家、その他のインフルエンサーからも続々とメッセージが出ています。原作者寄りの意見、脚本家への擁護、出版社への責任問題…様々な意見が飛び交っていますが、事の本質はプロデューサーの力量に尽きると私は考えています。

 

テレビ局に在籍したことはありませんので、門外漢ではあるのですが、若い頃には広告制作会社で長くクリエイターを生業としていた経験はあります。職種として一番長かったのはディレクターです。広告の世界では、①クライアント(広告主)、②広告代理店、③制作会社の三者がクリエイティブの基本構成ですが、広告代理店の担当者に「力」がないと、悲惨な状況に陥ります。力のない担当者(=プロデューサー)だと、クライアントの要望と制作会社の意見を、相互に正しく伝え、尚且つ良い感じに調整することが出来ないからです。

 

挙げ句の果てにはクライアント側からも制作側からも「話が違う」というクレームの嵐となり、締め切りは迫り経費は積み上がり、にっちもさっちもいかなくなるのです。事態収拾のためには最終的にクライアントと制作側が直接やりとりを始めてしまい、結果的に広告代理店の担当者はただいるだけの存在となり、中間マージンを取るだけの邪魔な存在に成り下がるのです。

 

今回の問題の本質は、同様のことだったのではないでしょうか。つまり「力」のないプロデューサーが上手く原作者や脚本家を「転がせなかった」ということ。例えば、ですが原作者が「ここは絶対に譲れない」としたところも、自分勝手に『ま、そんな事言ってても、始まっちゃえば大した問題じゃなくなるから、気にする必要はない。所詮原作とドラマ作品は別物だし。』などと軽く考えて適当にあしらっていた、とか。…あくまでも私の想像で、何の根拠もないですが。

 

「クリエイティブ」が絡むと、業界が何であれ関係者間の打ち合わせや擦り合わせが、非常に重要で繊細な問題となるのです。そこを充分に理解し、スタッフ間を上手にまとめることは決して優しい仕事ではありませんが、それが出来ない担当者は結構多かったですよ。少なくとも広告業界では。この場合にはクライアント側にも制作側にも殆ど責任はありません。ただお互い運が悪かっただけ、としか言えません。