不適切にもほどがある ハラスメント
土曜日の朝、昨日録画していた不適切にもほどがあるを見ました。いつものように心躍る物語の進行にワクワクしながら見入っていましたが、
不適切なハラスメントの訴えに、クドカンは答えを、答えを提示したと思います。
私がブログで必死で訴えてきたことと同じことです。
不適切なハラスメントの訴えが起こる時、訴える側は本気で傷ついています。人格を、尊厳を、全てを全否定されたと本気で受け取っているのです。
ただしこの場合不当な訴えです。本気で傷ついてるけど…
それは何故か。
それは子供の頃より、、、
子供は叱って導いていかねばならないのですが、叱られて、怒られて、世の中のルールや生きて行く術や、自分を律する方法などを学んでいくのですが、
その叱り方が間違った叱り方なら、親の規律ではなく怒りを主体とした、子の人格を否定する行為を叱るとしているなら、叱るという行為に人格否定を乗せて怒鳴り散らしているなら、子は叱られると言うことに酷く傷つきます。存在自体を否定されていると受け取ります。(そんな叱り方をする親も、自己肯定感が低い)そして傷つきやすい、自己肯定感の低い、世間で言うところのHSPが出来上がります。
こうして大人になると、嫌だと感じることは、全て自分の尊厳を否定されることに直結するので、そら本気で怒り狂いますわ、行動的な人なら仕返しもしますわ、許してくれませんわ。鬱積した怒りを全て抱えて大きくなっているからね。
だが、
古田新太がポータブル呼吸器を付けた状態で、娘の存在を全肯定します。いるだけで素晴らしいと命を賭して世間に宣言します。渚は渚で素晴らしい存在だと宣言します。救急車で運ばれ危険な状態になりながらも、我が娘は素晴らしいと宣言します。
これが子育ての基本であり答えです。
罵って育てていると、人格まで否定されていると、子供は勘違いします。そして自己肯定感の低い、気に留めることでもない一言に過敏に反応し、いつまでも怒りを溜め、負のスパイラルに落ち込みます。
これは世代を通して受け継がれる家庭間の文化です。
古田新太のように、何をしてもどんな子でも、私の子は素晴らしいと、世間に宣言できますか?
もっと前に、それをお子さまに伝えていますか?
お子さまは、そのことを信じていますか?
クドカン、、最高や。
皆んな分かってても言わないのに。
こっち側の人間は、あっち側の人間がこっちに来るのを歓迎しないから。ややこしなるから。
世代を通じて文化は再生産されるということです。
不必要な行動なら、それを捨てましょう。
必要なことを受け入れる勇気と、
不必要なことを手放す勇気です。
これがなぁ〜不思議なことに、収入とか学びに相関関係があったりするんだわ、、、