キキ物語 インドネシア編その1 | kikiのブログ

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※自分の備忘録として書いています

 

16日はキキの月命日。

キキが旅立ったのは2017年10月16日で、もう3年半も経つんだね。

 

でも、あの生命力溢れるキキの存在は全く薄れることなく、今も近くに居るような気がしている。キキを思い出すとあまりにもエピソードが沢山。

家族と話していても、いつも最後は「ほんと、面白い子だったねー」と言う結論になる。

 

キキはインドネシアのロンボク島生まれ。とにかく生まれた瞬間から独立心旺盛だった。3匹姉妹だったのだけど、キキだけいつもお母さんや姉妹の近くに居ないから暫くは私、2匹姉妹だと思っていた。キキのお母さんはイェイイェイ、姉妹はララにルーシー。

 

そこで、そんなキキのエピソードを思い出話としていくつかご紹介。

 

<キキのエピソード インドネシア編>

その1

出かけて暫くたってもキキが帰ってこない事があった。そんなに遅くないのだけど、胸騒ぎが。そうしたら、何となくキキのいる場所が分かった。そしてそこに行ってみたら居た。しかも針金でぐるぐる巻きにされて…。絶対に何か悪さをして犬が嫌いな人を怒らせたのだろう。針金をほどいたら何事もないように、るん♪と言うような足取りで家まで一緒に帰ったキキ。今でも不思議だな。何でキキのいる場所が分かったんだろうなあ。キキとはそんな事が何度かあった。

 

 

その2

キキは出かけたいったら出かけたい。でも犬が嫌いな人も多い国だったから、私は家から出すのが怖く、家に入れて出かけて帰ってきた事があった。そうしたら…腹いせなのだろう。コーヒーの粉が見事綺麗にまんべんなく、床にまかれていた事があった。激怒した私が「こらあ!!」と叫ぶと嬉しそうに外に出て行った・・・あの時の「やられた!!」と言う気持ちは忘れられない(笑)

 

その3

不幸な犬が少なくないロンボク島。なので早々に避妊手術をお願いした。でもお願いした初めの獣医さんが衛生的にあまり宜しくなかったのか膿んでしまって切ったところがじくじく、痛々しい状態に。そこで別の獣医さんに連れて行ったところ、これは一度開けて綺麗にしてから縫い直しましょうとな
った。先生がお腹を開いた瞬間、助手が気絶!なので急きょ、私が助手を務める事になったのだけど意外と普通にこなせて無事終了😊

 

その4

キキが1歳以上になったくらいかな。数日、帰って来ない事があった。でも命に別条があるとかいう感じはせず。。近所を歩き回ってみたら…なんと。。。スキンヘッドの白人男性の家で楽しそうに過ごしていた!「ちょっとぉ・・・!」と言って連れて帰った。

 

その5

何か悪さをしたのだろう。近所の人が「ひろこ、キキを狙っている人が居るか隠れて。居留守使って!」と教えてくれたことがある。慌てて門を閉め、鍵をかけ、キキと家にこもり電気を消した。そうしたら少しして「白い犬はどこだーーー!」と言う叫び声と鉄パイプをガンガン鳴らす音が。普段だったら「わん!」とか言うキキなのだが、この時は空気を読んだのかね。一緒にひっそりと気配を消してじーっと彼らが立ち去るのを待った。そうしたら、その内いなくなった。キキはこうして何度も命を助けられたなあ。

 

その6

キキと暮らしていたロンボク島は、放し飼いの牛も多くいたのだけど、そのせいかキキは普通の犬が「わお~ん!」と遠吠えをするところ、「もーーーっ」と鳴く。私は何とも思っていなかったのだけど実際に聞いた人に「え、牛?」と言われて、うわ、本当だーと気づいた(笑)

 

その7

実は私が初めに飼ったのはキキではなく姉妹のララだった。「ララ」と言う名前はドクトルジバコと言う映画で出てくる女の人の名前で、「Lara」と言うひびきが好きでつけました。一方キキはお母さん犬の飼い主がつけていたので、姉妹合わせてキキとララとなったのは本当に偶然だったのです😊

 

 

その8

ララはバイクに引かれてしまい、とっても短い命を終えました。そんなララの姿を見つけてわんわん泣いている私のところに、

お母さん犬を飼っているおじさんがキキを連れてきて、「代わりに、ほら、これ。キキって名前だから」と私の腕に無理やり預けて行ったのが私とキキの長い物語始まりでした。その時は「いやいや、似ているからってララの代わりになるわけないのに。困るよ
!」と思ったのだけど、いつしか人生で欠かせないな相棒となったのでした😊

 

 

続く