余命を悟ってからの超男前行動。末期癌に学ぶ | からしまひろこの小春日和~笑顔で波乱万丈!?〜

からしまひろこの小春日和~笑顔で波乱万丈!?〜

ふわりとした春風と、からりとした夏の太陽、孤独でも輝く秋の月、凛とした冬の空気、そんな生き方めざしながら、えんやこら~

波乱万丈にへこたれない(⌒-⌒; )
からしまひろこのブログに
起こし頂き ありがとうございます!


訪問介護時代に 深く関わった
亡きMさんを 偲んでの記事
の続きです。


そして 同時期に 同じ病で亡くなった
元夫  こと
困ったオッちゃんが 全力で
戦っていた時代を 忘れないように…




訪問介護で ずっと担当していた
元 飲食店の女主人Mさんが  
突然の 癌の末期と解り


手の施しようもなく
いきなりの ホスピス入所となり
亡くなられるまでの 僅か
一ヶ月程の 物語の 続きです。


スタッフやボランティアさんの
手作りの可愛いランプが 
あちこちに飾られる
あたたかい雰囲気の 
ホスピスに入所されての事……

{84DA10AB-B7AF-419A-9B90-0A349C7C393C}

人生の最後   全てを 受け入れ


Mさんは  あらゆる采配をして
知り合い  身内  
今まで 関わった 沢山の人に 
気力を  ふりしぼって
最後の 大仕事。


美味しいこだわりの 食事を
百貨店や 色々なお店で
買ってきてもらうように頼み

皆に 大盤振る舞いの日々
   


そして 身内の方が困らないように
自分が亡くなってからの
全ての相続や  細々した手続きを
完璧に済ますように采配し


すべてに ぬかりなく


まるで  自分の人生の 閉店作業まで
自分で 
プロデュースしているようでした。



訪問介護で 関わらせて頂いてる時は
体の 痛みや 辛さのせいか
気難しい人でした。


いわゆる 
ヘルパーさん泣かせの人であり

沢山のヘルパーさんや
看護師さんが 
次々とギブアップしていく
難しい人であったのです。


でも  人生の最後の 一ヶ月
Mさんの 言動  行動の全てが


かっこいい!

この 男前な 行動と
周りに対する 温かさと思いやり。


今まで 聞いたこともない
冗談が 炸裂。ニヤニヤ


Mさんて  本当は
純粋で  可愛らしく
実は むちゃくちゃ 
面白い人だった!
という事を 改めて知りました。


大阪北新地の近く  激戦区で
飲食店を経営されてただけあって


客あしらいのうまさ

機転の早さ

関西人特有の 
ボケたら つっこむ

その間合いの 絶妙さ!


1  言えば   10  を悟る
という 気持ちで 
接客業をして 
経営をしてきた人からみると


若い 介護、 看護のスタッフに
手厳しい思いを持ってしまったのも
無理はなかったでしょう。


介護や看護って
資格だけ  技術だけ  
知識だけ  マニュアルだけ

それで まかり通るものでは
ないのだと Mさんから
教わる事が 多くありました。


いっそ、芸人さんに 弟子入りして
ボロボロのズタズタに
揉まれた方がいいのでは??
と 思うくらい 

人間力が 必要な 
仕事でもあるのです。


そして

死を受け入れる


と言うのは 言葉にするのは
簡単です。


でも  Mさんが
自分の病の深刻さと


もう自分には 
ほとんど時間が残されていない事を
抵抗なく すんなりと
受け入れられたのは


きっと 長年  体の不調と 戦い続け
もう 限界を超えていた所、


今  やっと
病の宣告によって


もう自分には時間が無いことを
一瞬にして 悟り、

長く 暗かったトンネルに
終わりがある事を知り
緩む事ができ ホッとしている。


そういう感じでした。


あるときの事、

沢山の見舞客の方が 訪れる中
一瞬  私と Mさんが
二人になった時間がありました。


その時に Mさんは 私を 呼び寄せ


からしまさん。
旦那さんの 体の調子はどう?


小声で そう 聞かれたのです。


ちょっと 返事に迷ったのですが
今の状態のMさんに対して
今更  取り繕う必要もない気がして


ありがとうございます。
実は …………
あまり 良くないんです。


と 正直に答えました。


その 短い会話だけした所で
また  別の来客が来られ
会話は 終わりました。


でも Mさんは
たった それだけの会話で 
全てを 察知したかのように
大きく うなずき


もう これ以上 話さなくていいよ


と 目で合図をされたのが
私は 忘れられないのです。


仕事として 長年 訪問している中で
過去に  日常会話程度に

夫の体調が良くない
という 話しを

暗く重くならない程度に
話した事があったのを
覚えておられたのです。


実を言うと
担当している 利用者さんに
個人的な家庭の事情などは
話すべき物ではないので


もちろん Mさんにも 
一切 話しは してませんでしたが



ただ 現実と言うものは
時たま 
ドラマ以上の事が起こるもので
彼もまた  Mさんよりも 
少し早い時期に 全く 同じくして


ステージ4の癌の末期という宣告を
受けた所だったのです。


これもまた 
寝耳に水どころか


寝てる所を まるごと
海に 
掘り投げられましてん!
ポーン



ぐらいの  びっくりの話し
だったのです。


Mさんに あえて 
その話をするつもりは
ありませんでしたが、


会話なき 会話  のような
不思議な 一瞬のやりとりの中で


Mさんは  なんとなく 全てを
感覚的に 察知されたような気がします。


同時に、
自分自身が 死の淵にいる時に
他人の 体調を気にかける


そんな 心遣いをする人なのです。


その後 Mさんは  日毎に
麻薬系鎮痛剤により 
遠のく意識の中で


それでも 最後の最後まで


私が 見舞いに行くと
目を 閉じたまま  ちゃんと

からしまさん 来てくれたん?

と しっかり 話しをされ


この麻薬系鎮痛剤で よくある
せん妄や幻覚 などで 
意味不明の言動をする事もなく


眠るように
静かに 穏やかに 旅立たれました。


情熱的で  働き者  
全力で 人生を生き抜いた人の
穏やかで 見事な 旅立ちでした。



そして 
Mさんが 亡くなられて
一ヶ月もたたない頃の事です。


普段は 夢も見ない
というか 見た事も覚えていない私に
不思議な事が起こりました。


Mさんが 夢に出てこられたのです。


この 話しは
過去にもブログに書いた話しですが
あれから 更に 時間が達ち


ますます  
不思議な出来事になったので
再度  ブログに書こう!
と 思いたちました。


長くなってしまうので
この 夢の不思議な話しは
次回に!


ただ  この時 
Mさんが 夢に出てきて
残されたメッセージの意味を
私は 今  ようやく 少しずつ
理解できるようになり


今も 忠実に 守っているのです。

{498E23E1-4815-461A-B40C-98086247DFF7}

生まれてきたばかりの時は
周りに  抱き上げてもらう

それしか できなかったのに

死ぬ時は  その寸前まで
周りの人を
抱きしめて 包み込む事ができる。

体はボロボロでも
心で  人を包み込む。

例え  死の瞬間に 立ち会えなくても
その人が どう生きたか

それって 遺された人を
ずっと 包み込むんです。

  友蔵の弟子 俳句にならない俳句


いつも 読んで頂き     お付き合い
       ありがとうございます。