代表兼プロデューサーのチョン・チャンファン氏はどういう経歴やどんな価値を持っている人なのだろうか?

 

私のカズタ(笑)みんなのn.SSignが所属している事務所代表チョン・チャンファン氏

 

2017年に独立して、n.CHEntertaimentを設立している。

所属アーティストには、俳優ノ・ミヌ氏、NATURE、国民歌手の10名と11位だったハ・ドヨン氏。青春スターの13名等。

今回12月の n.CH WORLD Live 2022" in Japan にはノ・ミヌ氏、NATURE、国民歌手ハ・ドヨン氏、青春スターTOP7が来日する予定。

 

さて、青春スターTOP7の初来日公演は、シンソン派こそ自曲があったものの、ボーカル派もn.SSignもカバー曲でアレンジを効かせ、我々を魅了させたわけである。

中でも、13名全員での、ONE VOICE や Another Day of Sunは、素晴らしく、魅了されたし感動的だった。

 

上記の所属アーティストたちはみな、実力者と思われ(すいませんよく知りません)12月の公演がどんなものになるのか、期待があがる。

 

ということで、やっと本題。

そもそもチョン・チャンファン氏、どのような背景をお持ちかと調べたところ、興味深い記事を発見致しましたので、共有したいと思います。

 

ーーーーここからーーーーーー2012年年5月の記事ですよ

 

2012年5月の記事「K-POPを作る人々」

K-POPに対する信頼を裏切らないようにが私の生きる道です。"今年で12年目、国内屈指の芸能企画会社に成長したSMエンターテイメントで陣頭指揮を執るチョン・チャンファン理事(41)の言葉だ。

彼は日本を越えてアジアへ波及し、世界のあちこちに広がって行ったK-POPを見守った生き証人だ。世界中のどこからでもK-POPを楽しむ時代を生きて誰もが、太平聖代が持続することを望んでいるが、実質的な方法を出せる人は稀なこの時代、彼に答えを尋ねた。"これからが重要です。程度をかけなければならないと思います。SMはBoAや東方神起を海外でデビューさせるために、長期的な目で持って労力を積み重ねました。
そのような過程がなければ、今の結果もなかったでしょう。良質の公演とコンテンのための安定した先行投資を優先する事だと思います。金儲けのためのつまらないショーが出始めるとすぐに底を見せてしまうでしょう。
"チョン理事の過去12年を振り返ってみると、K-POPがどのように成長したかを見ることができる。

1998年延世大心理学科を卒業した彼は最初から音楽コンテンツ事業に参入したわけではない。ヒュンダイデパートのマーケティング業務が彼の踏み出した最初の社会生活であった。3年間平凡な会社員だった彼が人生の座標を突然変えた。辞表を出して2000年SMエンターテイメントに入社願書を出したのだ。
"神話のロードマネージャーから開始しました。一緒に学校に通った友人で放送会社PDとして就職するケースもあったが、今考えると笑いが出ます。家族の反対ですか?音楽をしたいと言えば反対されましたが、音楽分野で一流企業に入る事に対しては特別、お言葉はなかったですよ。

"大学時代にバンドでベースを弾いていた彼は曲を書くほどに音楽に打ち込んでいた。会社では新人だった彼だが、忘れていた音楽に戻ったのは当然の成り行きだった。だが、安定した事務職から不安定な現場職へと急激に変わった周辺環境までは容易く適応することは出来なかった。

"運転をしていたり用事をしてる時に、私の人生がどうなるか怖くなったこともありました。それでも音楽方面の仕事なので興味が勝ちました。CDがどのように作らて、放送出演はどのような過程を経るかを見てますます面白くなったんです。" 会社が徐々に成長するにつれ、彼が引き受ける仕事量も増えた。歌手のスケジュールをワープロで整理して、アルバム制作過程も計画に合わせて進行するシステムを作っていく内に業界での感覚を養った。

2003年から企画と戦略を立てるA&Rを担当しながら、彼の目も海外市場に向かった。世界最大の音楽博覧会といわれるミデム(MIDEM)は、彼が海外の音楽の傾向を体得する学校のようだった。"1970年代、鄭周永会長が建設受注を取るために海外に出て行った事を想像すれば良いです。K-POPという言葉自体がなかったんです。ブースで見るとフォースが感じられる人がいる。近付いて挨拶して頼んでみて出来なければ再び話して。そうしてデモテープを受け渡ししながら一つずつネットワークが広がってきましたよ。

"チョン・チャンファン理事は、SMきっての"公演通"だ。2005年から国内外の主要公演の演出を担当している。
近頃開催され、55万人を動員した東方神起の日本ツアーと2日間で10万人を動員したスーパージュニアの東京ドーム公演も彼が手掛けた。公演は現地ファンたちの反応を見るため近くで接しながら、扉を確認する場だ。

戦場で考えれば最前線に違いない。しかし、わずか5、6年前までは、この最前線を海外演出家に任せてたのが、国内音楽界の現実だった。肩越しに学び、独学で格差を詰めて、彼らを認めさせていったのは、彼が行ったもう一つの戦争だった。"ヒュンダイ時代のイベントを進行した経験が大きな助けとなりました。
手始めに、フライトゥザスカイのファンミーティングやカンタ、ムン·ヒジュンの国内公演の引き受け手となりました。2000年代半ばまでは日本公演関係者たちのプライドは凄かったです。韓国だけで公演演出など出来るのかという反応でした。

歌の間は数秒、間をを置かなければならない基礎的なことから研究し勉強し始めました。"勿論、わびしかった時期でした。だが、一手ずつ習わなければならなかった。日本公演市場の利点を学びながら差別化にも苦慮しました。市場市場で、歌い手が通行人を呼び集める事から研究するに至りました。そのような過程を経て経験を積んでノウハウは形成されていった。もうSMだけの公演ノウハウを日本スタッフが認めて学ぶ現象が起きている。
 

$我楽多箱


スーパージュニアが "スーパーショー4"コンサートで映画 "サウンド·オブ·ミュージック"をパロディにした舞台を披露している。

"スーパージュニアの"スーパーショー"は女装をしたり、"サウンド·オブ·ミュージック"をパロディしている場面もあります。日本では珍しい部分です。バンド中心に定形化されたパターンに馴染む為でしょう。 笑って泣く事は装置が精巧にかみ合わさりつつも観客の虚を突いて反転を与えます。この公演は国内で特化されたし、今や日本が学ぼうとしている。"代々木競技場で行われたBoAの初の日本ツアーと東方神起の初の海外ツアーだったタイ公演、大雨で中止寸前だったSMタウンの北京公演、更にスーパージュニアのパリ単独コンサートまでと彼が思い浮かべるの瞬間はもうK-POPの歴史になった。皆が不可能だということにのめり込んで成果をあげ、彼は国威発揚という言葉を悟るようになったとした。

 

ーーーーここまでーーーーーー

2012年5月にこの記事がでて、その5年後の2017年にn.CHEntertaimetを設立するわけですね。当時41歳ですから今年51歳。

この乗りで行くと、カズタたちも女装したりするのかな?できるな。。。。w

 

 

記事から、なかなかのお人柄と感じ入りました。あとは、SMから去る時上手に離れたかどうかですかね。

心理学科出ていて、なかなかマーケテイングも心得ていると思いますし(すいません偉そうです^^v)何より、この一行ですよ。

「良質の公演とコンテンのための安定した先行投資を優先する事だと思います。金儲けのためのつまらないショーが出始めるとすぐに底を見せてしまうでしょう。」

 

カズタたちが、コンテンツとして消費されず、カズタたちも満足して成長できる環境そんな会社であってほしいです。はい。私見です。

 

カズタが研修生として入る→カズタ頑張る→カズタファン殺到する→公演大成功するっていう流れで、会社はカズタ様様かと。。

或いは、最初からカズタの魅力に気づき組み立てていったか。←やっぱこっちかな~

 

10年前の記事ですが、人の価値観はほぼ変わらないと考えます。

 

事務所の諸先輩と作る公演、とても楽しみにしています。そして、

 

n.CH WORLD Live 2022" in Japanが

  in Korea   in New York inなんとかになって、羽ばたいてほしいですね。

 

字ばっかりでしたが、最後まで読んでくださりありがとうございます。

 

 

 

出典はこちらのブログから