昨日3月20日(水)

香里能楽堂へ行ってまいりました。


灘校の伝説的な国語教師、橋本武師先生(100歳!)が

「今、申し上げたいこと」とのタイトルで基調講演をされ

拝聴してまいりました。


先生は、中勘助氏作、小説「銀の匙」を題材に

国語授業にて3年間かけてこれを読み込む

という指導を行った方です。


 ~授業において、型にはまった解釈や講釈などはせず

 生徒に自分なりの解釈、感想を求める。

 

 時折、(本題から)脱線をしながら

 関連で岩波文庫を読んだり、短歌を書いたり。 


そんなスタイルで

学生に「思考力」を養う授業を展開されました。


当時、賛否はあったようですが

先生のお話を拝聴していると、その構成のシンプルさに驚きます。



 ~たとえば能楽と、歌劇の違い。

 

 おなじ「かなしみ」を表現する際、

 能楽であれば…ゆっくりと、力強く。顔面に手を当てる仕草、など

 歌劇であれば…からだ全体で、大きく表現

 

 といった具合に、真反対になるでしょう。


たんに「真反対」であることを説明するのではなく

能楽と歌劇の対比において、両者の特性が際立てられました。



芸術は、表現の手法だと思います。

(ご講演を聞き、そのように思った次第です)

当日のプログラムには、そのほか

能の「仕舞」、能の「原文追求」、「歌唱」などがあり

ご講演を通して、より一層楽しむことができたものと感じております。


本日、3月議会が終了しました。

「表現の手法」という観点からは、議場での質疑や質問

はたまた演説も、さしずめ「芸術」というところでしょうか(?)


あいまいなものを、あいまいに受け入れる。

芸術では「アリ」かもしれませんが

議場では「自己満足」になってしまうかもしれません。


しかし、「つかみ」を得るためには

そのエッセンスも多分に必要、と思わされた一日でした。