【再掲】幾つかのポリシーの一つ~「誰かを憐れむほど卑しいことはない」~ | What happened is all good

【再掲】幾つかのポリシーの一つ~「誰かを憐れむほど卑しいことはない」~

※本ブログにおいて『WORDS(フィクション)』というテーマにおいて記述された文章は全てフィクションです。本ブログにおける『WORDS』(フィクション)の趣旨についてはこちらから...。






43年も生きてくると、それなりに生きてゆく上での一貫したポリシーというものが備わってくる・・・。
それはある意味において、好むと好まざるとに関わらず備わるもので、逆に言えばポリシーのないいい年のオトナなんていうのは、その辺に転がっている石みたいなもので、蹴り飛ばされて池の中にポチャンと落っこちたとしても、誰に異議申し立てを出来るというものでもない・・・。それなりに存在感というものを示し、誰かの意思に自分の意思を捻じ曲げられることもなく、自分なりの生活なり、自分なりの社会との関わりを構築したいと思えば、やはりポリシーなるものは必要になる。








「誰かを憐れむほど卑しいことはないし、誰かを羨むほど無様なことは無い・・・。」








これは、僕自身が体験の中から会得して後天的に備わったポリシーというわけではなく、遠い昔に亡くなってしまった母方の祖父から強く刷り込まれたポリシーのひとつである。







憐れむ・・・。つまり、誰かは自分より恵まれていないとか、不憫に思うとか、哀しいと思うということ自体、その誰かを蔑んでいる証しであると、事ある毎に祖父は僕にそう伝えた。おまえはさほど立派な人間なのか?おまえはさほどたいそうな人間なのか?おまえはさほど偉いのか?誰かをただ憐れむだけでは物事は何も解決できない。憐れむくらいならきちんとその誰かに手を差し伸べられる人間になれと・・・。祖父が言いたいのはそういうことだったのだと思う。「手を差し伸べ、その誰かを支えることもできなければ救うことも出来ない人間に、人を憐れむ資格などない・・・。」そんなことを祖父は語っていたようにも思う。






羨む・・・。つまり誰かは自分の持ちえていないものを持ちえていて、自分もそれを欲するということ自体、その誰かを妬んでいる証であると、また事ある毎に祖父は僕にそう伝えた。妬む暇があるなら、その誰かが持ちえているもので、自分が持ちえていないものを、きちんと自分で持ちえるように努力せよ。祖父が言いたいのはそういうことだったように思う。「欲しいと思うものを手をこまねいて、ただ見るだけで涎を垂れ流すくらいなら、それが得れるようになるため、まず修練を積め。」そんなことを祖父は語っていたようにも思う。







祖父から享受したこのポリシーは、人生における幾らかの局面で、僕を支え、救ってくれたように思う。このポリシーのおかげで、そもそも僕は自分自身を誰かと比較するということに対して興味を抱かなくなった。”自分の望む人生を送りたければ、自分でそれを想起し、思念し、努力すること以外にない”という身も蓋も無い普遍の真理を人生の早い段階で理解することができた。勿論出来たからといってすべてが上手く行くものではないし、想起し、思念し、努力を捧げる対象となるものを見つけるにも少し時間がかかったようにも思う。とはいえ、今は、自分自身が想起し、思念し、努力するその対象を見出せたことで、さほど迷うこともなくなったし、さほど酷い目にあうこともなくなった。














淳子との再会は、二週間ぶりだった。いつもなら気ぜわしそうに息子の下校時間を気にしながら、カルティエの時計に何度も目をやり、そそくさと珈琲を飲んで、いつものカフェを後にするのだけれど、この日に限っては何か物憂げに、僕の部屋で脱ぎ捨てられ、そしてまた身につけられたジルサンダーのカーディガンの袖を捲くり、窓の外を眺めていた。






「今日は、時間、大丈夫なの?」
「ええ、息子はサッカークラブの合宿で河口湖・・・。旦那も出張で大阪。特に時間を気にする必要はないの。
ねぇ、トオルさん?もしね、昔、付き合っていた彼女があなたとの恋に破れて、それが原因で自暴自棄になって、結婚もしていなくて、仕事もしてなくて、引きこもり状態になっていたとすると、どう思う?」
「なんだか、唐突だね。」
「いいから、どう思うか、答えてよ。」
「まず、俺はそんな女子とは付き合わない・・・。俺は俺に依存し、俺無しでは生きられないなんて女子のことを好きにはならない。知ってのとおり、精神的に自律していて、やるべきことやらなければならないことを持ち合わせている相手じゃないと無理なんだよ。」
「あなたって、昔からそんなにドライだったの?」
「ドライなわけじゃない。俺は俺なり慈悲深い人間だと思っている。だから、最初から”無理”なものには手を出さない。ただ、それだけだよ。で、そっちは何かそれに相応するようなことが起こったわけ?」
「実はね・・・。」







淳子は一週間前に開かれたOL時代の同期会での出来事を語りはじめた。彼女の話を要約するとこういうことになる・・・。








大学を卒業し、最初に勤めた会社で、二つ上の先輩を恋に落ちた。ところが、しばらく付き合っているうちに価値観や趣味や嗜好が自分と大きくかけ離れている事に気づき、次第に距離を置くようになった。そのうち付き合っている相手が北海道に転勤することが決まった。それを好都合と考えた淳子はちゃんとした「さよなら」も言わないまま、いつの間にか同僚だった、今の夫と恋に落ち、結婚して会社を辞めた。夫は前の彼と入れ違いで職場に転勤で配属されたので、前の彼との関係については知る由もなかったし、会社を辞めて以来、その彼がどんな足跡をたどったかということに関する情報は完全に遮断された。ところが、一週間前の同期会には、昔の彼と懇意にしていた彼と同期の先輩社員もたまたま出席していて、彼の顛末を聞かされることになった。その先輩社員によると、彼は淳子が「さよなら」も言わないままに、他の誰かと結婚してしまった事実に、茫然自失状態になり、転勤先の北海道の支社を退職したものの、その後、職を転々としていて、今は実家のある田舎の愛媛で暮らしているが、結局、淳子のことが忘れられず、誰とも結婚していないらしかった。その先輩社員は時々、愛媛に彼に逢いに行くそうなのだけれど、実家を継いだ兄との折り合いも悪く、今は小さなアパートで暮しながら日雇いの仕事に出ているらしい・・・。別れ際に彼の写真を見せられ、”あっちゃんがちゃんとさよならしてやれば、あいつあんな風にならんかったかもなぁ”という先輩社員の一言が、重く圧し掛かっているらしい・・・。







「で、君は自分を責めているわけ?」
「えっ?」
「あのとき、ちゃんと”さよなら”していれば、彼はあんな風にならなかったんじゃないか?と後悔しているわけ?」
「・・・・。」
淳子は、俯いたまま、顔を上げようとしなかった。
「あのさぁ、申し訳ないけれど、君はある種、悲劇のヒロインを気取っているのかも知れないけれど、あんまり思い上がらないほうがいいよ。」
「思い上がるって、どういうこと?」
「”誰かを憐れむほど、卑しいことはない”。これは俺のある種のポリシーなんだけれど、君は先輩社員とやらの言葉を額面どおり受け止めて、ある種の不幸に見舞われている彼のことを不憫に思っているかもしれないけれど、実際に会ったこともない彼に対して、とても失礼な話なんじゃないかって思うのね・・・。」
「そう、とても失礼なことをしたと思う・・・。」
「ではなくて、今の君自身の、その”心持ち”が失礼だと、俺は言ってるの。」
「どういうこと?」
「まず、実際に会ったこともない相手に対して、人の噂話を鵜呑みにして、定職に就いていないこと、そして、結婚していないことをとても不幸だと不憫に思っているんだろう?それって、あまりにも人を蔑んでない?もし、君が原因で、事の顛末は始まったのかもしれない。でも、それはただのきっかけにしか過ぎない。立ち直るチャンスは幾らでもあった筈だよ。もし、本当に申し訳ないと思うのなら、彼が定職についていようがいまいが、結婚していようとしていまいが、ちゃんと謝りにゆけばいい。でも、もし、仮に、ちゃんとした仕事に就いていて、幸せな結婚でもしていてくれば、これはただのいい思い出話で終わってしまうはずだよね。君は、単に彼が定職についていないこと、結婚もしていないことを憐れんでいるだけだよ。それはとても不遜なことじゃないか?って俺は思うんだけれど・・・。」






淳子は、表情は激しく曇っていた。今まで、見せたことのないまるで頭痛薬の広告に出てくる女優のような、文字通り、沈痛な面持ちだった。
「いっそのこと、その彼に逢ってくれば?逢って、あのときちゃんと”さよなら”を言えなくて悪かった。ごめんなさいって謝ってくれば?それで気持ちが晴れるのなら、そうすればいい。」
「そんなことできるわけないじゃない。私には息子もいるし、夫だって・・・。」
「でも、彼には子どももいなければ、愛する妻もいない、まともに仕事にだって就いていない。」
「ねぇ、どうしてそんな意地悪なの?」
「”意地悪”でいってるわけじゃない・・・。人には自分の努力ではどうにもならないことがある。彼が定職についていないことや、結婚もしていないことは、君の力でどうにもなるものじゃない。先輩とやらの言葉を鵜呑みにして、どうにも解決できないことに気持ちを支配されているみたいだけれど、問題は、君が礼節を欠き、失礼なことをした相手に対して何ができるのか?ってことじゃないだろうか?もし、何も出来ないにも関わらず、そのことを気に病んだとしても何も始まらない。何も出来なくて、ただ憐れむだけというのは、とても相手に対して失礼だよ。もし、”ごめんなさい”が言えない状況であるなら、もうその事実に、静かに蓋をして一生持ち歩くしかないんだよ。」






淳子は、隣の椅子にかけていたコートを鷲づかみにして、そそくさと席を立ち、何も言わず、店を出て行った。瞼からは少し光るものが落ちていた。







誰かが本当に幸せなのか?不幸なのか?を他者である自分が決め付けることなど出来ない。
自分の勝手な基準によって判断された”幸か?不幸か”なんてこれほどあてにならないものはない。
更にそれに起因するのが自分であると思い込むことは、とてもおこがましい話だと僕は思う。







そして、人には自分の力ではどうにもならないことが幾つも存在する・・・。







人はさほど、立派なものではない・・・。