たぶん、もう蓮見圭一という作家の小説は読まない...。~『水曜の朝、午前3時』を読み終えて~ | What happened is all good

たぶん、もう蓮見圭一という作家の小説は読まない...。~『水曜の朝、午前3時』を読み終えて~

池上冬樹という人が書いた解説には、実に”いい小説である。”と書いてあった...。


けれど、残念ながら、僕はこの小説を読み終えて、いい小説であったとは到底思えなかった。


まず、この小説を読む前に、読んだ小説が白石一文の『一瞬の光」だった。『水曜の朝、午前三時』は『一瞬の光』の後に読むのはどうも適当ではなかった。



白石一文と蓮見圭一。二人の作家に共通していえるのは、二人とも出版社勤務だったということにある。白石は実に緻密に精巧かつ大胆に人のキモチに斬りこんでくる素晴らしい作家であることを最近強く実感している。この一冊ではなんともいえないのだろうけれど、蓮見の紡ぐその言葉は、斬り込むことを狙うのではなく染み渡らせるということを狙いとした、デビュー作でもあるに関わらずある種老獪さをも漂わせるストーリーテリングだったと思うのだが...。


45歳で命を失うことになる翻訳家であり詩人が自分に向き合いながら紡ぐその言葉は、当初、凛然としていて清廉であり、更に死を目前に控えているというのに強い躍動もあった。



ところが、物語が進んでゆく中で、死に行くもののノスタルジックなその一生の回顧に対して次第、次第に共感なるものを抱くことができなくなり、なんだか妙に苛立ちのようなものを感じるにまで至ってしまった。


なぜ、そんな風に思ってしまったのだろう?


この小説には、ポール・ウイリアムスやジョニ・ミッチェル、ボブ・ディラン、CCR、ジャニス・ジョップリン、ジョン・レノンの音楽が登場するけれど、文章そのものが、それら珠玉の名曲を超える輝きを放つことはない。


A級戦犯の孫という複雑且つ極めて保守的な家柄のもと育った翻訳家であり詩人は、やはりある一定の年齢を迎え、自身の育ってきた世界の偏狭さ退屈さに辟易し新たな世界への船出を模索する。


そしてその先で激烈な恋愛をするのだけれど、その相手が北朝鮮人だったという出自が障壁となり、やすやすとその恋を手放してしまう。いや、小説ではやすやすではなく、そこに対しての苦悩や煩悶が描かれていて、結局、差別の根底にある恐怖に耐えられなくなり逃げ出してしまったことも告白しているが、僕にはやすやすと手放したという風にしか感じれなかったのである...。


最後に、”人生は宝探し”であり、”自分の内心に耳を傾け、何になりたいのか?どういう人間として、どんな人生を送りたいのか耳を澄ましてじっと自分の声を聞きだし、歩き出すように”娘に遺している。


至極、まともなことだと僕は思う...。けれど、あまりにまとも過ぎて、そにに何も心の震えをも覚えることはなかった....。

最後に主人公が、北朝鮮国籍を持つ義母が愛したという男に会いにゆく

このシーンがこの小説に必要だったのだろうか?

エンディング、実に後味の悪さを強く感じてしまった。

この小説では、本当に語られるべきことが、きちんと語られていなくて、特に必要の無い、余計なことが結構語られているように思う。

確かに美しい言葉がたくさん並んでいる...。

けれど、美しい言葉が、人の心を射り抜くわけではない。


そして、タイトルである『水曜の朝、午前3時』と、サイモン&ガーファンクルの珠玉の名曲のその因果関係に思いを馳せてみるのだが....。


詩人であり、翻訳家の女性が激しく恋をした相手の妹である成美が亡くなったのが、『水曜の朝、午前3時』だったわけであるが、サイモン&ガーファンクルのかの名曲の主題とこの小説とがリンケージする部分は、どうも何処にも何も感じることはできなかった。



この作品はそこそこある意味、立派な小説なのだとは思う。


けれど、僕にとって今、必要な言葉は、ここには何も描かれてはいない....。






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directed by Daisuke Sugahara