レイモンド・カーヴァーの名短編「ささやかだけど、役に立つこと」から学んだこと...。
「ささやかだけれど、役に立つこと」というのはレイモンド・カーヴァーという小説家の著した短編の中でも、珠玉の一編であると僕は思う...。
不慮の事故で子供失った、絶望の淵に立たされた夫婦が、同じく人生に希望などを抱いてなどいないパン屋の職夫とその絶望を一晩かけて、それを共にすることでストーリーは終る...。
多分推測だけれど、春樹(村上)さんの『パン屋再襲撃』はこのカーヴァーの残した短編がなにかしらのモチーフになったのではないか?と僕は思っている。
![$What happened is all good ! ~新しい価値を創造する、ある広告プランナーの呟き~](https://stat.ameba.jp/user_images/20091027/22/kohhei1970/60/56/j/t00890126_0089012610288618781.jpg?caw=800)
パン屋再襲撃 (文春文庫) 村上春樹![](https://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=kohhei1970-22&l=as2&o=9&a=4167502011)
ここまで人生を順風満帆に歩いてきた夫の人生とは、春樹さんの訳した以下の文章で語られている...。
”それまでの彼の人生は順調そのものだった。それは満足のいくものだった。大学を出て、結婚して、もうひとつ上の経営学の学位を取るためにもう一年大学に行って、投資会社の下位共同経営者になっていた。そして子供もいる。彼は幸福であり、今まではラッキーだった。それは自分でもわかっている。両親は健在だったし、兄弟姉妹はきちんとした一家を構えていた。大学時代の友人たちは社会に出て、みんなそれぞれ立派にやっていた。これまで彼の身にはとりたてて悪いことは何も起こらなかった。そういう暗い力から、彼はずっと身を遠ざけていた。ツキが落ちて、いったん風向きが変わればその暗い力は人の身は損ない、足をつかんで引きずりおろしもするものだということを彼は承知していた。"
ここから、カーヴァーのアンチテーゼを伺い取ることが出来る。つまり、”そういう暗い力から、彼はずっと身を遠ざけていた。ツキが落ちて、いったん風向きが変わればその暗い力は人の身は損ない、足をつかんで引きずりおろしもするものだということ”を承知している”彼”たりとも、突然不幸は押寄せ、深い絶望というものを避けることは出来ないということである...。
仮に彼が”大学を出て、結婚して、もうひとつ上の経営学の学位を取るためにもう一年大学に行って、投資会社の下位共同経営者になっていた。そして子供もいる。彼は幸福であり、今まではラッキーだった。それは自分でもわかっている。両親は健在だったし、兄弟姉妹はきちんとした一家を構えていた。大学時代の友人たちは社会に出て、みんなそれぞれ立派にやっていた。これまで彼の身にはとりたてて悪いことは何も起こらなかった。”としてもである...。
失われた15年とも言われて久しいが、ちょうどそのあたりに大学を卒業した僕らの世代にも、学歴を培い、しあわせな結婚し、安定した職業にさえ付けば、何とか幸せな生活のようなものが得られるという幻想や安易な発想は蔓延してたように思う...。
ところが、社会環境が激変し、学歴も、結婚も、安定していたとみなされた会社に就職することも、すべてが絶対安心を得るための免罪符にはならない状況に直面した...。
僕は思う。こういう時に本当に力を発揮し、激変する社会に対応しながらも、自分らしく生きることが出来る人間というのは、”挫折”や”絶望”を体験し、そこから這い上がってくることが出来た人間であると...。
もうあてにはならない免罪符にすがりつくことなく、本当の自分の力で歩むべき術を知っている人間というのは、何が大切かということをきちんと理解している。
それは、やはり、何かやり遂げたいという自分の人生の目的を抱くことが出来、それに必要な知識や情報を習得し、それを理解し支援してくれる人の力なのである。勿論そこには、情熱や信念、誠意というものも絶対的に必要なのだと思う...。
しかし、周囲を広く眺めていると、未だに、あてにならない免罪符にすがりつこうとする者こそ、その免罪符さえ手に入れれば、目的も努力も信念も情熱も誠意も抱く必要なく生きてゆけるものだと勘違いしている傾向が強いように思う..。
時代は閉塞し、混沌としている。その閉塞や混沌から突き抜けるだけの力を持っている人間というのは、そのあてにならない免罪符などを求めるのではなく、明日の未来への希望を自分の力で何とか滾り寄せようと必至でもがいている..。
時代が閉塞し、混沌すればするほど、人は何故か当てにならない免罪符ばかりを追い求め、コンサバティブになり、保身に走り、自己防衛ばかりが働く...。
そんな人間ばかりしかいないから、時代を切り開く、まさに破天荒な主人公が登場しないのである..。
もうすがるべき枝などは、枯れ木同然である。
自分らしく生きることが出来るのは、当てにならない免罪符にすがりつかずに生きてゆく術を見出した者だけであると僕は思う...。
「ささやかだけれど、役に立つこと」を読むたびに、僕のそんな思いは高まるのである...。
不慮の事故で子供失った、絶望の淵に立たされた夫婦が、同じく人生に希望などを抱いてなどいないパン屋の職夫とその絶望を一晩かけて、それを共にすることでストーリーは終る...。
多分推測だけれど、春樹(村上)さんの『パン屋再襲撃』はこのカーヴァーの残した短編がなにかしらのモチーフになったのではないか?と僕は思っている。
![$What happened is all good ! ~新しい価値を創造する、ある広告プランナーの呟き~](https://stat.ameba.jp/user_images/20091027/22/kohhei1970/60/56/j/t00890126_0089012610288618781.jpg?caw=800)
パン屋再襲撃 (文春文庫) 村上春樹
ここまで人生を順風満帆に歩いてきた夫の人生とは、春樹さんの訳した以下の文章で語られている...。
”それまでの彼の人生は順調そのものだった。それは満足のいくものだった。大学を出て、結婚して、もうひとつ上の経営学の学位を取るためにもう一年大学に行って、投資会社の下位共同経営者になっていた。そして子供もいる。彼は幸福であり、今まではラッキーだった。それは自分でもわかっている。両親は健在だったし、兄弟姉妹はきちんとした一家を構えていた。大学時代の友人たちは社会に出て、みんなそれぞれ立派にやっていた。これまで彼の身にはとりたてて悪いことは何も起こらなかった。そういう暗い力から、彼はずっと身を遠ざけていた。ツキが落ちて、いったん風向きが変わればその暗い力は人の身は損ない、足をつかんで引きずりおろしもするものだということを彼は承知していた。"
ここから、カーヴァーのアンチテーゼを伺い取ることが出来る。つまり、”そういう暗い力から、彼はずっと身を遠ざけていた。ツキが落ちて、いったん風向きが変わればその暗い力は人の身は損ない、足をつかんで引きずりおろしもするものだということ”を承知している”彼”たりとも、突然不幸は押寄せ、深い絶望というものを避けることは出来ないということである...。
仮に彼が”大学を出て、結婚して、もうひとつ上の経営学の学位を取るためにもう一年大学に行って、投資会社の下位共同経営者になっていた。そして子供もいる。彼は幸福であり、今まではラッキーだった。それは自分でもわかっている。両親は健在だったし、兄弟姉妹はきちんとした一家を構えていた。大学時代の友人たちは社会に出て、みんなそれぞれ立派にやっていた。これまで彼の身にはとりたてて悪いことは何も起こらなかった。”としてもである...。
失われた15年とも言われて久しいが、ちょうどそのあたりに大学を卒業した僕らの世代にも、学歴を培い、しあわせな結婚し、安定した職業にさえ付けば、何とか幸せな生活のようなものが得られるという幻想や安易な発想は蔓延してたように思う...。
ところが、社会環境が激変し、学歴も、結婚も、安定していたとみなされた会社に就職することも、すべてが絶対安心を得るための免罪符にはならない状況に直面した...。
僕は思う。こういう時に本当に力を発揮し、激変する社会に対応しながらも、自分らしく生きることが出来る人間というのは、”挫折”や”絶望”を体験し、そこから這い上がってくることが出来た人間であると...。
もうあてにはならない免罪符にすがりつくことなく、本当の自分の力で歩むべき術を知っている人間というのは、何が大切かということをきちんと理解している。
それは、やはり、何かやり遂げたいという自分の人生の目的を抱くことが出来、それに必要な知識や情報を習得し、それを理解し支援してくれる人の力なのである。勿論そこには、情熱や信念、誠意というものも絶対的に必要なのだと思う...。
しかし、周囲を広く眺めていると、未だに、あてにならない免罪符にすがりつこうとする者こそ、その免罪符さえ手に入れれば、目的も努力も信念も情熱も誠意も抱く必要なく生きてゆけるものだと勘違いしている傾向が強いように思う..。
時代は閉塞し、混沌としている。その閉塞や混沌から突き抜けるだけの力を持っている人間というのは、そのあてにならない免罪符などを求めるのではなく、明日の未来への希望を自分の力で何とか滾り寄せようと必至でもがいている..。
時代が閉塞し、混沌すればするほど、人は何故か当てにならない免罪符ばかりを追い求め、コンサバティブになり、保身に走り、自己防衛ばかりが働く...。
そんな人間ばかりしかいないから、時代を切り開く、まさに破天荒な主人公が登場しないのである..。
もうすがるべき枝などは、枯れ木同然である。
自分らしく生きることが出来るのは、当てにならない免罪符にすがりつかずに生きてゆく術を見出した者だけであると僕は思う...。
「ささやかだけれど、役に立つこと」を読むたびに、僕のそんな思いは高まるのである...。