「断る」でもなく、「しがみつかない」でもなく=「勝間」でもなく、「香山」でもない 生き方について | What happened is all good

「断る」でもなく、「しがみつかない」でもなく=「勝間」でもなく、「香山」でもない 生き方について

 昨日は、昨日のうちに昨日を終えるつもりだったのだけれど、家に着いたら、昨日はわずかほんの少ししか残っていなくて、すぐに今日を迎えてしまった...。
 
 ややワーカーホリック気味な僕とはいえ、なかなか骨の折れる案件が多くて、結構、大変だなぁと感じている。夏休みの前に仕事がピークを迎えるというのはあまり喜ばしいことではない。なぜならば、休んだ気になれないからである...。

 ピークを迎えるというのは当然、休みが明けたらまた恕等のように仕事の海の中で溺れなければならないことを意味するのである。束の間の夏休みを本当に心からリラックスして過ごすことができるかどうかというのはやや不安である...。

 さて、モンパルナスさんのブログWackyhopeさんのブログでも紹介されている、香山リカが書いたしがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール を実は僕、全部ちゃんと読んだわけではないのだが、だいたい書いてあることは予測できて、途中でふむふむと本を閉じてしまった...。

What happened is all good ! ~新しい価値を創造する、ある広告プランナーの呟き~

しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書)

 まぁやはり帯のコピーの<勝間和代を目指さない>というのはなかなか鮮烈で、さすが幻冬舎だなぁと感心してしまった...。

 僕の率直な意見を述べれば、勝間になりたきゃ勝間を目指せばよいし、”しがみつかない”というのもまぁそりゃ一理あって、どっちもどっちという感じなのである...。

 ただ、勝間の「断る」であったり、香山の「しなみつかない」であったりがわりと多くの人に受け入れられるというのは、みんなやはり何だかとても不安で、生きるための規範のようなものを他者に求めているから、こういう状況が生み出されるのではないか?と思うのである...。

 僕は実のところ人間は矛盾に満ちた一貫性の無い生き物だと思っている。勿論、根底には譲れない信条なり哲学のようなものはあるけれど、それは何も他人に押し付けたり、強引にそればかりにこだわっていて本当に物事がうまくゆくとは到底思えない...。

 やはり適宜、最適な方法や最適な手段を選ぶことが大切で、更に大切なのは目的に対して正しくそれを選択できるか?ということではないか?と思う。

 僕のような仕事をしていると、クライアントや案件、商品やサービスによってそれぞれの目的はすべて大きく異なるという事実に遭遇する...。となると午前のミーティングで声高に発していた事とは180度異なる主張を午後の会議でしていたりする...。そういう意味においては「しがみつかない」に近いのかもしれないけれど、どうも何だろう”覇気”に欠ける香山チックな主張が腹落ちするわけではないし、無理無駄を徹底的に排除し、「そこどけそこどけ勝間が通る」的なその豪腕ぶりというのも、何だかこう、「はいはい。」と言ってはならないと叱られそうな返事しかできないのである..。


 僕は個性とかアイデンティティというのは表出されるべきだとは思うけれど、その個性やアイデンティティというのが大多数=マジョリティである必要など全く無いと思っている...。そこにそれぞれの価値があるわけであり、当然、リスクもあるのだけれど、最後は自分を信じれる強さだと思っていて、それに至る手法や論法や手段なんて別に何だっていいと思うのである...。

 自分が自分らしくあるためには、勝間が正しいのか?香山が正しいのか?を比較するというのはどうもナンセンスで、それぞれがこの社会に適応し、自己実現を果たし、満足の行く、納得の行く人生を送ればよいだけであって、社会生活を送る上での「自己実現」や「満足」や「納得」なんて、本当にひとりひとりそれぞれが全く異なるものであると僕は思っている...。

 ただ、二人の主張はあまりにかけ離れているように見えるけれど、唯一、僕も共通認識できることは(残念ながら共感ではない...。)、勝間も香山「依存」に対して激しく抵抗を見せているような気がしていて、それは僕も同様に思うことなのである...。

 待っていても、よりかかっていても、決してよいことなど何もない時代や社会がやってきていて、ただ自分で選択し決断してゆくというリスクを負うしかないという、ミもフタもない事実を受け入れることができる人間以外には、思い通りの人生など歩むことなどできないと、僕はそう思うのである...。