第一章:世界から色が消えた日 

21歳の冬。
それは、母の誕生日でもある12月1日だった。

この日を境に、僕の人生は大きく変わる。

それまでは、病気とは無縁だった。
幼少期は、一年中半袖半パンで過ごし、サッカーに明け暮れ、体力にはかなり自信があった。

大学生活も、遊びもバイトも全力。

まさか自分が“難病”と呼ばれる病気になるなんて、
想像したこともなかった。


異変は、何気ない一日から始まった。

友達と出かけたショッピングモール。
フードコートでご飯を食べようとしたその瞬間、お腹の奥に違和感が走った。

ぐにゅぐにゅしている。
痛みはそこまで強くなかった。

「まぁ、いつもの下痢やろ」

もともとお腹が弱かった僕は、深く考えずトイレへ向かった。


便器を見た瞬間、頭が真っ白になった。

便器が、真っ赤に染まっていたのだ。

出るはずのないところから、血が大量に出ていた。

何が起きているのか理解できなかった。

冷や汗が止まらない。
手が震える。
息がうまくできない。

「嘘やろ……」

血が苦手だった僕は、倒れそうになりながら必死で呼吸を整えた。


誰にも言えなかった。

心配をかけたくなかったのか、自分自身まだ理解が追いついていなかったのか。

たぶん、両方だったと思う。

先輩には、

「ちょっとお腹の調子悪いんで、車で休んでます」

とだけ伝えて、ひとりで駐車場へ向かった。

あのときの不安感は、今思い出しても胸が締めつけられる。


駐車場へ向かう途中、薬局に寄った。

手に取ったのは、ビオフェルミンだ。

小さい頃からお腹が弱かった僕にとって、
彼には絶大なる信頼を置いていた。

「これ飲んだら治るやろ」

レジは長蛇の列だ。

視界が狭くなり、手も震えている。

倒れそうになる身体を必死で支えて、ビオフェルミンを購入した。


血便は止まらなかった。

数日後、市民病院へ向かった。

その場では細かい検査などはせず、整腸剤のようなものを処方してもらった。

「これ飲んだら、さすがに血止まるやろ」


血便は止まらなかった。

1週間飲んでも、止まらなかった。

トイレに行くたびに、怖くなった。

拭いたあと、必ず確認してしまう。

見たくないのに、見てしまう。

だって、自分の体のことやから。


紙についた赤い色を見るたび、心が削られた。

「また血便や……」

どんどん精神が擦り切れていった。


そして、お腹の症状とは別で、頭の中がおかしくなっていた。

血便が出た頃だったと思う。

症状を調べれば調べるほど、大腸がんにヒットする。

「21歳で、俺死ぬんか」

その衝撃が大きすぎたのか、
気づいたときには、ある思考が止まらなくなっていた。


「どうせ最後は死ぬのに、なんで生きてるんやろう」

この言葉が、四六時中頭から離れなくなった。

考えているというより、勝手に流れ込んでくる。

お茶を飲もうとしても、
歯を磨こうとしても、
トイレへ向かっても、
布団に入っても。

すべての行動の最後に、

「どうせ死ぬのに」

が頭の中で響いている。

なんやねん、ほんまに。

意味がわからへん。


この思考は、血便が出る原因、その病名が分かれば消えると思っていた。

そう信じて内視鏡検査を受けた。


下剤を2リットル飲み、ひたすらトイレへ向かう。

最後の方は、液体しか出てこなかった。

正直、検査そのものよりこれが一番しんどかった。

そして検査後、ぼーっとした意識の中、仕切られたカーテンの向こう側から聞こえてきた言葉。


「息子さんは、難病です」

母親の誕生日、12月1日。

その時母は、どんな顔をしていたのだろうか。

潰瘍性大腸炎という、今まで一度も口にしたことのない言葉。

一生治らない。
一生薬を飲み続けないといけない。

頭が真っ白になった。

健康だけが取り柄だった自分が、
一生付き合う病気になるなんて。


でも、こうも思った。

「大腸がんじゃなくてよかった……」

本気で死ぬ覚悟をしていたからだ。

安心と絶望が同時に押し寄せてきた。


期待していた変化は起きなかった。

「どうせ死ぬのに」思考は、消えなかった。

むしろ強くなった。

寝ても覚めても頭の中にこびり付いている。

夢の中でも考えていた。

寝ているのか、起きているのか分からない。

生きていること自体がしんどかった。

ふとした時に涙が止まらなくなった。


世界から色が消えていった。


血と戦いながら、死を考え続ける毎日。

ここから、人生で味わったことのない
本当のどん底が始まった。


第二章:どん底 

難病と診断されてから、生活は一変した。

血便は相変わらず続いていた。
一日に何度もトイレへ駆け込む。

朝起きてトイレ。
少し横になってまたトイレ。
ご飯を食べてもトイレ。

気づけば一日中、トイレとベッドの往復だった。

どれだけ走ったかわからない。
どれだけ便器を見つめたかわからない。

そのたびに赤い色が目に入る。

「またや……」


トイレに行くのが怖くなった。

でも、我慢できない。

だから行く。

そして怖いのに、必ず確認する。

血のついたトイレットペーパーが、何度も僕の心を突き刺した。

自分で自分を傷つけているような感覚だった。


夜も眠れなくなった。

身体がしんどいのもあるけど、
それ以上に心が休まらなかった。

ひとりでいると、頭の中が「どうせ死ぬのに」でいっぱいになる。

怖くなって、21歳にして母と同じ部屋で寝るようになった。

「ひとりで寝てたら、なんかやばい気がするねん」

そう言って布団を並べた。


精神科と心療内科にも通った。

適応障害と診断されたけど、
今思えばそれだけじゃなかった。

鬱のような重さ。
突然襲ってくる不安。
パニック発作。

心と身体が一緒に壊れていく感覚だった。

「もし外でお腹が痛くなったらどうしよう」

「もしトイレがなかったらどうしよう」

この思考が止まらなくなった。

外に出るのが怖くなった。


家にいても安心できなかった。

「もし今、発作が出たらどうしよう」

誰もいない時間が、怖くなった。

母がパートに出ている間、
ひとりで過ごす時間が地獄だった。

不安で胸が苦しくなる。
自分で自分を落ち着かせることに、必死だった。


周りは就職活動を始めていた。

説明会、エントリー、面接。

未来へ進んでいく友達。

一方で僕は、トイレ。

ベッド。

トイレ。

ベッド。

世界から取り残されたような気分だった。


「最近、耕平就活どうなん?」

連絡が来るたび、胸が苦しくなった。

「ぼちぼちやで」

そう返しながら、画面を閉じた。

ウソをつく自分が嫌だった。

でも本当のことを言う勇気もなかった。

難病になった自分を知られたくなかった。

同情されたくなかった。

SNSを全部消した。

人の幸せそうな投稿を見るのが辛くなった。

焦り。
嫉妬。
孤独。

感情がぐちゃぐちゃだった。

「なんで俺やねん」

どんどん自分が嫌いになっていった。


外に出られない。

人にも会えない。

未来も見えない。

一日が異常に長い。

朝から晩まで、ただ生きているだけ。

いや、生きているというより、耐えているだけだった。

正直、気が狂いそうだった。

というより、狂っていたと思う。


第三章:当たり前じゃないから

「友達とお酒を飲みに行きたい」

潰瘍性大腸炎と診断されて、どん底の状態だった頃、通っていた病院で、こんな質問をされた。

「体調が回復してきたら、何がしたいですか?」

そのとき、僕は少し考えて答えた。

「友達とお酒を飲みに行きたいです」

今思えば、めちゃくちゃ普通のことだ。

でも当時の僕にとっては、それが一番遠い世界の出来事だった。

それくらい、僕の世界は小さくなっていた。


僕は、両親と弟の四人家族だが、父は仕事の都合で転勤が多く、あまり一緒に住んでいなかった。

弟が大阪の大学へ進学するタイミングと、
父の転勤先が大阪になったことから、父と弟は大阪で、母と僕は和歌山の実家で暮らすことになった。


母が9時から17時までパートに行っている間、
僕はひとり。

それが不安で仕方なかった。

「もし、誰もいないこの状況で発作が出たらどうしよう」

毎日そんなことを考えていた。


そんな生活が続くうちに、
満足に外にも出られなくなり、
電車にも乗れなくなった。


外に出ること。
人と会うこと。
普通に過ごすこと。

その全部が、できなくなっていた。

電車に乗れることは、当たり前だと思っていた。

そもそも、そんなこと考えたこともなかった。

けど、そんな当たり前にできていたことが、ある日、できなくなるということを知った。

当たり前ってないんだなと思った。
 

電車に乗る練習を始めた。

最寄り駅まで歩く。

一駅だけ電車に乗る。

そして、二時間ほどかけて家まで歩いて帰る。

そんなことをしていた。


包み隠さずリアルをお届けすると、

帰り道、飛び込んでしまおうかなと
よぎったこともある。


家にいるだけでも発作が出てくるし、

「なんで生きてるんやろう」

という意味のわからない思考も止まらず、

毎日が苦痛で仕方なかった。


踏切の音がした。


けれど、そのまま家まで歩いて帰った。


第四章:環境が人を変える

そんな日々の中で、ある日、友達から声をかけられた。

「最近なんしてんの?」

「なんもしてない」

メンタル的に、本当に何もできていなかった。

すると友達が言った。

「忍者せぇへん?」

一瞬、何を言われているのかわからなかった。

忍者?

って。


僕の地元、和歌山県には和歌山城がある。

そこでは、「平成おもてなし忍者」という活動があって、
主に車椅子の方々の登城サポートをする忍者たちが、あちこちでニンニンしていた。

その友達は、そこで忍者をしていた。


正直、めちゃくちゃ悩んだ。

その頃の僕は、外に出るのがほんとに怖かった。

発作が出るので電車にも乗れなかったし、
家にいる時でさえ発作が出ていた。


それでも、

「これをきっかけになんとかしないと、ほんまに終わる」

心のどこかで、そう思った。

直感だ。


そして、忍者になることを決めた。

一歩踏み出す勇気だ。


和歌山城は観光地だ。

老若男女、海外からの観光客まで、たくさん訪れる。

しかも、こっちは忍者の格好。

全身真っ黒の衣装に、刀を腰に差し、
額に大きく 忍 と書いてあるのだ。

とにかく目立つ。


すっごく話しかけられた。

一緒に写真を撮ってとお願いされたり、
お城を背景にシャッターを押したり、道案内をしたり。

車椅子の方々の登城サポートもした。


つまり、人と喋らざるを得ない環境だったのだ。


よくよく考えれば、僕はもともと喋ることが好きだった。

僕が本来持っている性質と、
喋らざるを得ない環境がたまたま合わさった。


気づけば、3時間。

外にいることができた。

驚いた。

嬉しかった。


今日もまた3時間外にいられた。

今日は5時間も外にいられた。


他の人から見たら、できて当たり前のこと。

でも僕には当たり前じゃなかった。

この小さな積み重ねが、
自信になっていった。


発作や不安感は少しずつ落ち着いていった。

結局、精神科や心療内科で処方された薬は、ひとつも飲むことはなかった。

発作がもし出てしまった時に飲もうと思い、お守りがわりにカバンに入れていた。

今はもう、そのお守りともお別れしている。



人間、意外としぶとくて、環境に適応する力を持っている。

なんとかなる、そう思う。


今では、電車にも乗ることもできる。

友達とお酒を飲むことだってできる。


忍者に誘ってくれた友達、
受け入れてくれた和歌山城の方々には、
本当に感謝している。


第五章:世界を彩るのは、自分自身だ

体調が少しずつ良くなってきているなと感じ始めた頃、
美容室へ行った。

すると、壁の色が紫になっていた。

「紫に塗り直したんですね」

そう言うと、

「前に来てくれた時、もう紫やったよ」

と返された。


驚いた。

前に来た時の自分は、
周りを見る余裕すらなかったんだと思った。

ちゃんと景色を見られるようになっている。

それが、すごく嬉しかった。


忍者をしている中で、
ボスから教えてもらった言葉がある。

「人間万事塞翁が馬」

その時起きた出来事が、一見悪いことに思えても、
それが後になって良いことに転じるかもしれない。

逆もまた然り。

目の前の出来事に一喜一憂せず、
長い目で見ることが大切だ、という意味の言葉だ。


当時は、
難病になったことがただただ不幸でしかなかった。

なんで自分だけが。
なんでこのタイミングで。
そう思うことばかりだった。

でも今は、思う。


潰瘍性大腸炎になってよかった。


この病気がなかったら、
こうして自分の経験を言葉にして、誰かに届ける人生にはなっていなかった。


あのどん底の時間があったから、
今の自分がある。


世界をどう捉え、
どう彩るかは、自分の心の在り方次第だ。