自分が興味のあることってなんなんだろうと考えた時に、漠然で出てきたものが 死 と 生について。いわゆる、死生観とでもいうのか。
思い返してみると、小さい頃もそのようなことについて漠然と考えていた気がする。
家族で川の字になって寝る時、このまま目をつぶって目が覚めなかったとしたら、自分がいなくなったとしても世界は回り続けているということを考え、その先を考えようとするとTV画面の砂嵐のような画が、頭を遮った。
もう一つ、やはり大きな出来事としては、大学3年生の就職活動直前に潰瘍性大腸炎という難病を発症したこと。
内視鏡検査をする前、まだ、病名がついてない時に自分で症状を検索し、ヒットしたもののほとんどが大腸ガンだった。
"21歳で俺死ぬんか"
本気で思った。大袈裟かもしれないけど。
その時からまた、死について考え、死というものを自分ごととして強く意識するようになる。
"人間いつかは死ぬのに、なんで生きてるんやろう"
この考えが頭の中を四六時中巡り、夢の中でもそのことを考えているような、寝ているのか寝ていないのか、よくわからない状況が長い期間続いた。
ただ、そのことを考えることは別に悪いことではないんじゃないかなって、今になって、少し思えるようになってきた。
伊坂幸太郎さんの「終末のフール」という小説を読んでいる。
たまたまなのか、内容は死を意識するようなもの。
簡単にいうと、「八年後に小惑星が衝突し、地球は滅亡する」といった物語。
いきなり命の期限を知らされた時、人々は混乱しパニックになり、絶望を感じると思うのだが、なにもそんな小説で描かれるような大袈裟な出来事ではなくても、今の僕たちの状況も変わらないんじゃないかなと思う。
明日のことなんて保証されていないし、いつどうなるかわからないし。それこそ、いつかは絶対に死んじゃうし。
死について考える というと、ネガティブなような印象を受けるが(当時の僕はそう思っていた)、実はそうでもないんじゃないかなと。
死を考えることによって、生が輝くんじゃないかなと。
私はそう思うのです。
知らんけど。
井澤耕平