「自分の人生に負けたくない。」

おはようございます!

ちょっと真面目っぽいことを書かせていただこうと思っているのですが、どういった感じで文章を綴ろうか悩んでいる井澤です。
#知ったこっちゃない

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お陰様で、新しい歳を迎えることができました。

8年前、潰瘍性大腸炎という難病を発症し、それに伴い精神的にかなりやられてしまったことがあります。

"どうせ死ぬのに、なんで生きてるんやろう"

って、今まで考えたこともなかった思考が頭の中を巡り、夢の中でもそれを考えてしまうような、文字通り四六時中そのことばかりで、気が狂いそうでした。たぶん、狂っていました。

一度"死"というものを意識したからなのか、小さい頃は年がら年中半袖半パンで病気なんてしたことなかった自分が難病だということを受け入れられず、認めることができず、そのギャップに苦しんでいたからなのか。

たまたま時期も時期で、大学3年生の就職活動直前の12月1日、奇しくも、母親の誕生日に難病診断を受けました。

友達から、最近就活どうなん?と聞かれる度に、してもいないのに"ぼちぼちやで"と嘘をついていました。

たぶん、かわいそうって思われるのが嫌だったんだと思います。恥ずかしさみたいなものもあったかもしれないな。

ベットとトイレを往復する日々を過ごす中で、なんで俺やねんっていう怒りや悔しさ、焦りでどんどん悪循環。

外出時にお腹が痛くなったらどうしよう、トイレがなかったらどうしようといった恐怖心から外に出られなくなり、一番ひどい時は、家にいる時でさえも、パニック発作が出ていました。

そこから、長い時間を過ごすことになりますが、少しずつ体調が良くなってきていたということもあり、ある時、ふと聴いた音楽がスッと入ってきて、今の現状を受け入れて自分自身認めることができたんですね。

大きな転機は、友達に忍者のバイトに誘われたことで、正直外に出るのは怖かったですが、"ここで踏み出さないと多分俺終わる" と直感的に思い、始めることになります。

これが本当に良くて、あらゆる精神的障害を克服していくのですが、ここで、学んだことは、"環境"ってめちゃくちゃ大事だということです。

半ば強引に自分の体を引っ張り出し、外という環境に放り投げ、時間を過ごしたこと。あとは、これはたまたま運が良かったのですが、和歌山城という観光地なので老若男女、海外の方々がたくさん来られるので喋らざるを得ない環境だったということ。

もともと喋るのが好きだったということもありますが、そのように時間を過ごしていると、"あ、3時間外におれた""今日も3時間外におれた""今日は5時間おれた!"といったように、小さい自信の積み重ねで、それらを克服できたんです。

あの時、誘いを断り一歩踏み出していなかったら、もしかしたらまだ家から出られていなかったかもしれません。

ちょっと話は、それましたが、現状の自分を受け入れて認めることはできました。

けど、やっぱりその時の出来事はキツく、たまに思い出し、俯瞰してその時の自分を見ている時があるのですが、そうなってしまった自分の運命人生に勝ちたいっていう、気持ちがずっとあるんです。

あのときの出来事が、意味のあったものにしたい。

過去の出来事は変えられないけど、今を生きて、過去の意味を変えることはできると思っています。

生き切りたい。

そんなことを思ったので、病院で治療待ちのこの時間に書かせていただきました。

ただ、なんや言うても、今生かされていること、そして、関わってくださる方々がいてくれているということに感謝しています。

いつも本当にありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

井澤耕平

はちまきが好きなんですかね(笑)