"友達とお酒を飲みに行きたい"
これは、僕が体調的にどん底になり、通っていた病院で掲げた目標になります。
体調が回復してきたら何がしたいですか?
ってゆう質問に対してですね。
2015年12月1日に内視鏡検査をし、潰瘍性大腸炎という難病を患い、当時は全然欲しくもない 「指定難病受給者」という称号を与えられることになります。
その日から、1年ほど地を這うように 生 にしがみつく日々が始まりました。
▼その様子はこちらから☺︎
https://ameblo.jp/kohezo21/entry-12773796849.html
、、、
とまぁこんな状態が1年近く続き、どこで、いい方向に転んだのかというと、やっぱり和歌山城で忍者をすることになったことが一番のきっかけにあります。
無理にでも外に出なければいけないという環境を作れたことが良かったですね。
#環境ってほんま大事
和歌山城と言えば、観光地なので老若男女、さらには海外からの観光客がたくさん訪れます。
さらに、こっちは忍者の格好をしているわけですから、とにかく目立ちます。
もう、すっごく話しかけられますし、一緒に写真を撮ってとお願いされたりするんです。
そう。
つまり、人と喋らざるを得ない環境に強制的に飛び込むことができたのです。
さらに、よくよく考えれば、僕はもともと喋ることが好きでした。
#幼少期に喋り始めるのも早かったらしいです
僕が本来持っているこの性質と喋らざるを得ないという環境が、うまいこと合わさったわけですね。
喋り、写真を撮り、道案内する。
そして、車椅子の方々の登城サポート。
、、、
気づけば、3時間。
外にいることができたんです。
驚いた。嬉しかった。
3時間も外にいることが出来たことが。
そして、今日もまた3時間外にいることができた。
今日は、5時間も外にいることができた。
、、、
と。
他の人からみて、できて当たり前のことが、僕には当たり前ではなかった。
小さな積み重ね積み重ねが、自信となり、僕はパニック障害のような発作、不安感を克服することができたのです。
#今は電車にも乗れる
忍者を始めたことで、確実にいい方向に向かったのは確かですが、どのタイミングかは分からないです。
ただ
"潰瘍性大腸炎になってよかった"
と今では思えているのが、何よりの自分自身の確信じゃないかと思います。
じゃないと、この場でこういう風に言葉を届けさせてもらうこともなかったと思います。
自分ひとりじゃ絶対にここまで回復することはできなかったと思うと、支えてくださった方々に本当に感謝です。
これからも体調に気をつけて生きていきます☺︎
こへ蔵
最後はいなくなるのに
何のために生きてんのやろ
1年近く気狂いそうになるほど
四六時中考えたけど
結果 わからへん
でも それでええんやってことが
わかったで