koheyheyのブログ

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超久しぶりのWeb投稿!!

パソコンが調子悪いのでなかなか更新できないですが、できるときにやってきます!


先日、実は超念願だった、「欽ちゃんの仮装大賞」の大阪予選に参加してきました。

結果は・・・・予選敗退。

25組参加していて、通過したのは0組という、本当に厳しい審査でした。


メディアってのは本当に厳しいものなんだって、改めて感じさせられました。


正直、今までは僕の活動に関しても、結果がどうであっても「楽しかったし、いいんじゃない?」で片付けられていました。でもそれは、学生だからであって、今後は「失敗」という結果でしかありません。

そういう点で、学生最後に大きな経験をできたと思っています。


これからの僕はといいますと、今、新しいことに挑戦と思っています!

具体的には今後、TwitterやFacebookでPRしていこうと思いますが、完全に「結果」が求められる活動です。

学生だから、という言い訳なんかもういらないです。


映画「モテキ」で、興味深いシーンがありました。(見てない人ごめんなさい)

「自分らしく」だとか、「やりたいように・自由に」とか言って働ける人って限られた人でしかないんだってこと。

限られていない人は、それなりに働けってこと。

世の中はそんな風にできてるんだ。

選ばれなかった人間には、選ばれなかっただけの働き方があるということ。それがその人の幸せなのかもしれないって僕は思う。

僕の父親は、40代前半で教頭先生になった。でも、その後15年間、離島の小学校、阿東町のド田舎な学校、山口市内のヤンチャなマンモス校などを経て、先日、校長先生になった。教頭時代の父親は、事務と授業で本当に忙しそうで、それでも授業の準備など、必死にしている父親を尊敬していた。年末には校長試験があり、必死に勉強する父親の姿も見てきた。そんな父親は教頭最後の日、大きな花束と、子供たちの寄せ書きをもらったらしい。もう理科の先生としてでも、教壇に立つことは二度とない。

選ばれた人は選ばれた人の苦労があり、葛藤があり、困難があるということ。

選ばれなかった人は選ばれなかった人としての考え方・働き方があるということ。

それを最近、改めて深く思う。


僕は僕なりに、今置かれている環境を受け入れて、自分の生き方をできたらなって思います。

選ばれた人間になれても、なれなくても、自分で生き方を見つけられる人間になれたらなと思います。


そして、最近最も強く思うこと。

それは「ほな、また」の意味である。


「ほなまたね」


これは次に会うことが確定しているからこそ、言って意味のあることなのかもしれない。

いままではこの言葉深い意味を感じていなかった。

けど今は違う。

たとえ、いつも一緒にいる人でも、初めて会った人でも、「また」が存在する確証なんてない。


だからこそ、僕は「日常」に重きをおきたい。

僕の一番好きな曲は、実はELTの「またあした」なんです(笑)


平凡な 当たり前を

ずっと大事にできたらいいね

君がいて 僕がいれる

相も変わらず 今日も愛してる


今が幸せであることも、一緒にいられることも、すべてに感謝でき、すべてを、日常を幸せでいられる人でありたいと思います。


欽ちゃんの仮装大賞、「また」参加できるかなぁー!!