一人ごとみたいなもんです。
この日は試合の二週間前
動物園に行った。
ガキンチョの頃からよく来てた。
7年前、一度めの引退の時
希望の光は見えてた。正確には光が見えてると勘違いしてた。
すぐに病んだ。病んだ理由は詳しくは省く(笑)
心の中にはいつの間にやらまた「ボクサー」が住み着いていたことが病んだ理由の一つではあった。
それでもちょいちょい動物園には行ってた。
当時の俺は幸せじゃなくて
幸せにどうしても思えなくて
だからといって、どうしていいのかもわからなかった。
どんどん時間は過ぎていって
気がついたら3年経ってた。
心の隅っこに「ボクサー」が毎日いた。だからその3年がどうしようもなく勿体なくて、虚しく感じた。
その後の3年は幸せだった。今思い出せば、精神もみるみる回復していった。
幸せになった理由も言えない(笑)
でも
幸せでも
やはり心の隅っこには「ボクサー」が毎日いた。
ボクサー育成が充実した気持ちでできるようになってきて
教え子達が強くなっていく楽しみができても
それでも毎日隅っこにいた。
幸せじゃなかった時も、幸せになっても、ちょいちょい動物園には行ってた。
遂にボクサーとして復帰できるチャンスを虎視眈々と狙いだし
家族に「一年間限定」という条件で無理矢理に近い形で許可をもらい、一人で神戸でボクサーとして生活する覚悟を決めた。
約一年前、ボクサーとして漸くリングに上がれた。
結果だけ見れば悲惨だった。
でも家族との約束した期間は一年間。
まだやれる。
その時の「ボクサー」は真ん中に居座り続け
その一年弱、真ん中から退いてくれたのは家族に会いに行く「帰郷」の時だけ。
それ以外は、基本的には何があっても真ん中から退かない。
居座った「ボクサー」は
「だってまだ終わってないじゃん。全部終わってないじゃん」
と子供みたいな駄々をこねた。
その後も色々あった。「今すぐ辞めろということなのか」と何度も消沈した。
でも「ボクサー」は散々駄々をこね続けた。
「まだ全部終わってないじゃん」と駄々をこね続けた。
駄々をこねられ続けてるうちに約束の一年は過ぎてしまった。
「期限は過ぎたよ」と静かに「ボクサー」に立ち去ることをお願いした。
以外にも「ボクサー」は「たしかに約束だったから」とアッサリと去っていった。
次の日、すぐに移籍と試合が決まった。
「ボクサー」はたったの一日で帰ってきて、またド真ん中に座った。
延長を家族にお願いした。
たったの一ヶ月半だけど
延長してもらった。
「ボクサー」は「最後までやれるんだ」と喜んで、いつもは隅っこにいる素人画家も「俺にはあんまり関係ないけどボクサーとしての眼を入れることができるんだね」と喜んだ。
「最後の居場所」が小さなお花畑になった(笑)
15年ぐらい前の「ボクサー」は練習と減量が嫌で嫌で、苦しいと真ん中から直ぐに隅っこに避難しようとしていた。
辞めたい屁理屈を並べ立てて立ち去ろうと、時には逃げ出そうともしてた(笑)
試合がしたいなんて全く思ってなかったし「試合なんかやったら俺は殺されるんじゃないか」といつも怖がってた。
今になって「ボクサー」は随分変わった。
もしかしたら随分弱くなったのかもしれないけど(笑)何もかも前向きに捉えることができるようになった。
「最後まで頑張る」と言うようになっていた。
ボクサーとしての引退試合なんだから、当日は俺の命を「ボクサー」に預ける。
朝に昼飯で食べる予定のお握りを作り、家族全員で動物園に向かった。
腹を空かせた子供達は道中でお握りを全部食べてしまった。まあ仕方ない(笑)
暑かったが、家族全員で園内をウロウロするのはとても幸せな気分になれた。
子供達も俺も、産まれて初めて園内のボートに乗った(妻は昔乗ったことあるらしい)。
一生懸命ボートを前に進め、楽しそうにしている子供達に癒やされた。手伝ってた妻は筋肉痛になった。
「ボクサー」は稀に割り込んでくるけど、家族といる時は基本的には大人しく隅っこに行ってくれる。
これからも家族と動物園にはちょいちょい行きたいが「ボクサー」と一緒に動物園に行ったのは、この日で最後になった。
俺が去年一番間違ってた部分は
一人になろうとしたこと。
覚悟なんて今は必要ない
どんな時も、俺は家族と一緒にいることで幸せになれる
そして家族が幸せになることで、また幸せな気持ちになれる
それがよくわかったから
だから
家族と過ごしながら
自分のお客さんに見届けてもらって
家族の眼の前で
幸せな気持ちのままリングに上がって
「ボクサー」とさよならしたい。