本当の幸せ | 大場浩平

大場浩平

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昔から祝日や時間のある時、よく一人で動物園に行ってました。興味のない人は見なくて結構です。

 

動物を見たい(特に猫科と鰐等の爬虫類)というのもありましたが、売店で売ってる虎の玩具がほしいとか、何も考えずうろうろしたり、ベンチに座って何か食べたり、閉店時間が迫ってきたらのんびり電車に向かったり。

 

半日間自由にできる動物園が大好きでした。

 

今でも家族で行ったり、子供と二人で行ったり。よく行きます。

 

子供と電車で向かい、近くのスーパーで買い物してから動物園で抱っこしながらあちこち回る。

 

子供の要望に応えたり、或いは金銭的な都合上却下して、泣かれる。何度も持ち上げてご機嫌をとったり、「あっちのが面白いから」と誤魔化したりして、その時だけ立派なパパになれる。

 

自分が子供だった頃、動物園の動物と自然界の動物はどちらが幸せなのか?という課題があったのをなんか覚えてます。

 

今の自分の勝手な結論。「種類だけでなく、個体差による」です。人間だって色々な人がいるのと同じで動物にもきっとそういうのがあるでしょう。

 

武器である爪や牙で狩りを行う機会、堅い身体や自慢の俊足で身を守ったり縄張り争いや異性の奪い合いを制する機会わないにせよ、毎日の食事や外敵からの安全はほぼ保障付き。勿論戦争等での殺処分や食料不足、地震等の事故はあるでしょうが。

 

僅かな食事の確保、天敵や災害から自分と家族の身を守ること。同種との様々な争い等、自然界で生きるのがどれだけ大変なことなのか、人間なので創造でしかものを言えません。

 

もし動物に選択権があるなら安定を求めて動物園が良い、と思う個体も絶対いるでしょう。寧ろそう思う個体ばかりかもしれない。

 

自由に走り周れない、狭い所に年中閉じ込められるのは嫌。もしかしたらそれは人間の一方的な概念かもしれない。

 

目的は自然も動物園も同じ。生きること。

 

それ考えると人間も同じ。何から何まで。

 

仕事は毎日、サボったりはしないけど優秀ではなく向上心もなく、言われたことを言われた通りにやろうとするだけ。できなければネチネチ言われるだけの状況に甘んじている。

 

職場の人間関係も全く気にならず、陰口言われようが悪口言われようが一秒でも早く帰れればそれでいい。

 

雇用側からすれば無気力な人間は一番いらないタイプな筈。「明るい未来」と思ってた現実からそっぽ向いて家に帰るだけが楽しみの人生。

 

どの人も愚痴こぼしながら生活か何か目的のために耐え続けて何かかしら楽しみを見つけていくんでしょうね。

 

それが正しいかどうかは個体差があるのでは?と思います。

 

自分は自分に正直でいたいだけ。無気力に毎日過ごしている自分が最近無性に虚しくなる。異論は一切受け付けません。

 

「本当に俺はこのままで良いの?結局何が言いたいの?本当の幸せって何?どうしたいの?」って。

 

めんどくさくなったので暫く更新しません。